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娘よりも母親(私)がいいの?平城天皇を惑わせ謀叛を共謀した平安時代の悪女・藤原薬子

娘よりも母親(私)がいいの?平城天皇を惑わせ謀叛を共謀した平安時代の悪女・藤原薬子

邪魔者を排除し、権力を思いのままに

さて、安殿親王のことを思っていたのかいなかったのか、悶々と暮らしていた薬子に転機が訪れたのは延暦25年(806年)。

桓武天皇が崩御され、皇太子であった安殿親王(以下、平城天皇)が皇位を継承されると、薬子は内裏へ呼び戻されます。

「あぁ、一日として貴女を思わぬ日はなかった……」

「えぇ、わたくしもにございます……」

感動?の再会を果たして二人は、もう長女なんてそっちのけ(余計なことを話されないよう、恐らく飼い殺しor粛清されたのでしょう)、邪魔な夫・縄主は栄転という名目で大宰帥(だざいのそち)として九州へ追いやってしまいました。

「さぁ、これで我らの恋路を邪魔する者はおらぬ!」

最初は理想的な政治を志していた平城天皇でしたが、政治の実権は薬子の兄・藤原仲成が握るようになり、兄妹二人で政治を私物化。

多くの人々から怨みを買ったでしょうが、何しろ天皇陛下が自分の言いなりなので、まさに怖いものなしです。

しかし、平城天皇は元から身体が弱かったため、健康上の理由から大同4年(809年)に皇位を皇太弟の神野親王(かみのしんのう。以下、嵯峨天皇)に譲られて太上天皇(上皇)となり、隠居のため平安京を去って平城京へ移住します。

このまま安らかな余生を送りたかったところですが、今までさんざん天皇陛下の権威を嵩(かさ)に威張り散らしてきた薬子と仲成は、気が気ではありません。

「上皇陛下には権威があっても権力に欠ける。このままでは、我らを怨む連中から復讐されかねない……」

そこで二人は、平城上皇をそそのかして遷都の詔勅(天皇陛下の命令)を発せしめるのでした。世に言う「薬子の変」の始まりです。

3ページ目 準備に1年、3日で鎮圧

 

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