化粧はできる武士のたしなみ!武士の心得書「葉隠」や戦国時代に見る男性のメイク【後編】
江戸時代に生きる武士は、たしなみとして頬紅や白粉などを懐に入れて持ち歩き、顔色の悪い時などはパタパタと叩いて化粧を施していました。
江戸時代に武士の心得を説いた『葉隠』には、武士のたしなみとしての化粧のことが記されています。
藩に忠義を尽くすため風采をあげる術として、武士の化粧はごく当たり前のことだったのです。
そして、戦国時代にも武士の化粧はごく当たり前のことでした。戦国時代の場合は、また江戸時代とは少し違った理由で化粧をしていたようです。
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化粧はできる武士のたしなみ!武士の心得書「葉隠」や戦国時代に見る男性のメイク【前編】
戦国の武士も化粧を施していた
江戸時代のみならず、戦国時代の武士にとっても化粧は必需品でした。頬紅・手鏡・香を持ち歩くのは当たり前だったようです。
もともとは、平安時代公家の男性が施していた当時の化粧の一つ「お歯黒」。平安末期には、男性貴族、平氏などの武士、大規模寺院の稚児も行うようになり、室町時代にも武家社会に広まりました。
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戦国大名の今川義元や北条氏政などは、白塗りにお歯黒の化粧という公家の風習を取り入れていたそうです。
そして、戦国時代の武士が化粧を施すのは戦場でもおなじみでした。
身分の高い武士は、風采を上げるためというよりは、戦場で勇猛果敢に見えるように白粉や紅を使ったとか。また、香をたきしめることもあったそうです。
さらに戦では打ち取った的の首級を判断する「首実検」が行われていました。
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化粧をしていないものは身分の低い者とみなされてしまうために、たとえ死しても卑しき身分の者と思われたくないと、名誉と品位を保つために化粧は日常的なことだったそうです。