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戦国ファン必見!その名も「武田信長」というインパクト最強な武将が実在した

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エピローグ

その後も上杉氏や在地領主らとの戦いに明け暮れる一方、領国経営に心血を注いだ信長は、文明9年(1477年)ごろにこの世を去り、その志を子の武田上総介信高(かずさのすけ のぶたか)に受け継ぎます。

信高の子・武田八郎五郎信興(はちろうごろう のぶおき)の代になって本拠地の真里谷(まりがやつ)を家名に改め、戦国大名として頭角を現していくのでした。

やがて一族の内紛や南総の戦国大名・里見(さとみ)氏らとの抗争に敗れて没落し、主の去った真里谷城は天文21年(1552年)に廃城とされたということです(天正18・1590年までは使用されていたという説もあります)。

現代、真里谷城跡はキャンプ場(木更津市立少年自然の家)として活用されていますが、もし現地を訪問の際は、かつて甲斐国からやってきた武田信長の雄志に思いを馳せてみるのも一興でしょう。

※参考文献:
秋山敬『甲斐武田氏と国人 戦国大名成立過程の研究』高志書院、2003年4月
黒田基樹『武田信長 シリーズ・中世関東武士の研究 第二巻』戎光祥出版、2011年1月

 

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