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日本橋、遊郭、長屋…浮世絵で見る、江戸時代を生きる人々のタイムスケジュールはどうなっていた?【午前1時から午前3時頃・最終回】:3ページ目
闇を恐れる心
武家屋敷の火災はもちろん、延享4(1747)年には江戸城二之丸の火災にも出場して、定火消や大名火消にも勝るとも劣らぬ実力を示し、町火消全盛時代を築
「草木も眠る丑三つ時」とよく言いますが、江戸時代は一日の時間の流れを十二等分して、それぞれ“十二支”を当てはめていました。
以下の記事に詳しくご紹介しています。
太陽と月が生活基準。江戸時代の時刻を知れば江戸がもっと楽しくなる(上)
午前1時頃から午前3時頃までは「丑の刻」になります。この干支での時刻表記を約30分ごとに区切って“丑一つ”“丑二つ”“丑三つ”“丑四つ”といいました。これは他の刻でも同じです。
そして“丑三つ”時とは「丑の刻」の始まる時刻、午前1時頃から30分ごとに区切った3番目の時刻で“午前2時頃から午前2時半ごろ”です。
現代ならばいざ知らず、江戸時代のこの時間帯は真っ暗な闇夜のうえに人通りもなく、物音などしようものなら驚いて飛び上がりそうな怖さがあったでしょう。
この不気味な雰囲気がこの世とは別の世界、つまり「あの世」もしくは「死」を連想させるものであり、「あの世」の入り口が開き魔物や幽霊が現れると言われていました。
そしてまた“干支”は方角を表すものでもありました。
「子の刻」(午後11時から午前1時頃)を“北”とし、時計回りに方角が変化していきます。次は「丑の刻」(午前1時から午前3時頃)そして「寅の刻」(午前3時から午前5時頃)と進んでいき、次の「卯の刻」は“東”の方角を示します。
陰陽道ではこの「丑寅」の方角、つまり“北東”を【鬼門】という不吉な方角としています。また“丑の刻”と“寅の刻”の境である【午前3時】は鬼の出没する時間だと言われていました。
百物語
上掲の浮世絵は「百物語」の様子を描いています。「百物語」とは新月の夜の暗闇の中で、数人のグループで一人ずつ怪談話(因縁話や不思議な話でも可)をしていきます。100話目の怪談話が終わると、ついに本物の物の怪が現れるというものです。
これが江戸時代に大流行しましたが、「百物語」はあくまでも怖い話聞きたさの“遊び”であり、本当に物の怪が現れると困るので、99話で話をやめて朝を待つというものや、武士の“度胸試し”や“肝試し”として本当の「百物語」を行ったということもあったようです。
江戸時代の人々は歌舞伎や浄瑠璃・講談・書物や浮世絵などで、いくつもの怪談話に接する機会がありました。
また爆発的な江戸の人口増加は、地方から江戸への出稼ぎによるものでした。それらの人々がそれぞれの出身地に伝承される“不思議な話や妖怪の存在”などを話すことにより、江戸にその類の話が情報として蓄えられることになりました。
江戸は経済や文化の爛熟そして仏教の浸透により、人々は今までにないほど「幽霊」や「妖怪」・「地獄」や「鬼」を身近なものとして意識することになったのです。
江戸時代の人たちと自然との関係性
もともと江戸時代までの日本人は“太陽が昇るころから活動を始め、太陽が沈めば活動を終えて眠りにつく”というように、自然とともに生活してきました。
江戸時代に“時刻”という意識をもつ段階に至っても、その時刻は“太陽の昇るときと太陽が沈むとき”をベースにつくられたものです。
日本人は古来より森羅万象に神が宿ると信じてきました。神にも魂があり、その魂が和やかなときは、植物を実らせ人々に五穀豊穣を与えます。
しかし神の魂が荒ぶる時、それを“神の怒りにふれた”とか“神の祟り”と考え、人間にはどうすることもできない災厄などを起こすと考えたのです。
そこで人々は神の荒ぶる魂を収めるため「祭祀」つまり神を祀り、供え物をし、感謝の意を表して、五穀豊穣を祈り鎮魂をしたのです。
「妖怪」とは神の“荒ぶる魂”として祀ることをされなかったもの、認められなかったものが変じて「妖怪」となったと言われています。
例えば“河童”は妖怪のトップに思い浮かぶような存在ですが、実は“河童”は「水の神」の使いであるという説もあります。
まとめ
江戸時代の人達は、現代の日本人よりも自然の森羅万象に心を寄せ、自然に寄り添って生きていたと思われます。その感受性こそが江戸の人々の毎日の行動に影響を与えていたのでしょう。
これは日本人の美徳とも言えます。現在を生きる私達人間が、今や自然を脅かす存在になっていることを思うと、江戸に生きる人達の生き方を見直すことには価値があると言えるでしょう。
【完】
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