卑弥呼のモデルとされる「倭迹迹日百襲姫」とはいったい誰?正体を日本書紀の記述から推測【後編】:2ページ目
出雲の神を牛耳るヤマト政権
さらに、『日本書紀』崇神天皇60年の条に記された記述を紹介しましょう。
崇神天皇は、出雲国造家の祖である出雲振根(いずものふりね)に命じ、出雲大社の神宝を献上するように命じた。命令に従い、出雲振根の弟が神宝を献上した。この時、振根は九州に行っていて出雲を留守にしていたが、戻ってくると、勝手な行いをしたとして弟を殺害した。
怒った崇神天皇が、振根を討伐したため、出雲臣はしばらくの間、出雲の神を祀ることをしなかった。その後、出雲の神にまつわる神託を得たため、崇神天皇は、再び出雲臣に出雲の神を祀らせた。
かつて崇神天皇があれほど祟りを怖れた出雲の神(大物主神)をヤマト政権が完全に牛耳っているのです。もはや、ヤマト政権と出雲の神は一心同体といってもいいほどの関係になっていることにお気づきでしょうか。
大物主神の正体を知って死んだ倭迹迹日百襲姫
最後に倭迹迹日百襲姫が箸墓に葬られた経緯を述べた『日本書紀』の有名な箸墓伝説の意味を考えてみましょう。
倭迹迹日百襲姫は三輪山の大物主神の妻となった。神は日没後に姫のもとに通い、夜明け前に帰ってしまう。そのため、姫は神の姿をはっきり見ることができなかった。
姫は「あなたの麗しいお姿を見たいので、朝まで留まってください」と嘆願した。神は「明日の朝、櫛笥(化粧箱)の中にいよう。ただし、私の姿を見ても決して驚かないように」と答えた。
その言葉を聞いた姫は、怪しみながらも朝になって櫛笥を開けた。するとそこには小さな蛇がいた。驚いた姫が思わず叫ぶと、蛇は人の姿に変わり「私に恥をかかせたな。今度はお前に恥をかかせてやろう」と言って、天空を踏んで三輪山に登って行った。
悔やんだ姫は箸を立て、女陰をついて死んでしまった。
箸墓伝説によると、倭迹迹日百襲姫は、自分の夫が三輪山の神(大物主神)であることを知り、驚き死んだ(自害した)ということになります。
つまり、崇神王朝が神として祀った三輪山の神、すなわち出雲系の神である大物主神を受け入れられずに死んだのです。