卑弥呼のモデルとされる「倭迹迹日百襲姫」とはいったい誰?正体を日本書紀の記述から推測【後編】
日本古代史最大の謎とされる邪馬台国女王の卑弥呼。その有力なモデルと目される倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)の正体とは?後編では、『日本書紀』に書かれた記述を紐解き、その核心に迫っていきましょう。
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卑弥呼のモデルとされる「倭迹迹日百襲姫」とはいったい誰?正体を日本書紀の記述から推測【前編】
大物主神のお告げの意味するもの
『日本書紀』によると崇神天皇5年の条に、国内に疫病が大流行し、多くの人が死に絶えるという惨事が起こったとされます。
天皇は、八百万の神を集め占ったところ、大物主神が倭迹迹日百襲姫に憑依し「我を敬い祀れば、必ず国中に平穏が訪れるであろう」と語った。
天皇はすぐさま大物主神を祀ったが、何の変化も起きなかった。そこで、さらに祈ったところ、大物主神が天皇の夢の中に現れ「我が子の大田田根子に我を祀らせれば、たちどころに国中は平穏を取り戻すだろう」と告げた。
天皇は大田田根子を探し出し、大物主神を祀らせたところ、疫病の流行が終息、国中が平穏を取り戻し、五穀豊穣に恵まれた。
大物主神(おおものぬしのかみ)とは一体どんな神様なのでしょうか。実は、国造りの神である出雲大社(いずもおおやしろ)の祭神・大国主神と同一神なのです。
『古事記』にも大物主神が登場し、大国主神が国造りに頓挫した時、大物主神が現れ、協力して国造りと助けたとあります。また、『日本書紀』には、大物主神は大国主神に対し「私はあなたの幸魂奇魂(さちみたまくしみたま)※注1である」と言ったと記されています。
大物主神は『記紀』が成立する前から、大国主神と同一神であると認識され、三輪山(みわやま)には出雲の神が祀られていたのです。
そして、この伝説で注目すべきは、倭迹迹日百襲姫が大物主神の神意を語ったのに何も効力がなく、天皇自らが受けたお告げが効力を発揮したという点です。
崇神王朝内におけるシャーマンとしての倭迹迹日百襲姫の存在に、何やら暗い影が見え始めているようです。
※注1:さちみたまは、運により人に幸福を与える神力。くしみたまは、奇跡により人に幸福を与える神力。