江戸時代、幕末の日本で坂本龍馬を護衛した凄腕の槍術使い「三吉慎蔵」とは【後編】:2ページ目
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明治維新後
明治に入ると長府毛利家家扶(皇族や華族の家で、家務を担当する立場)として上京。その後、宮内省に出仕し北白川宮能久親王の家扶となる。
1890年。東京での仕事を退官すると、故郷の長府へ戻った。1901年没。享年71。墓所は山口県下関市にある功山寺。
慎蔵の家族
妻・伊予との間に子が3人いた。慎蔵の家族は龍馬の妻・お龍とも一時期同居していたため面識があったという。長男の「米熊(よねくま)」は養蚕業の教育者として活躍し、蚕業学校の校長や教授を歴任した。後に農学博士を授与されている。
長女の「茂子」は3歳で早世し、次女の「友子」も短命で慎蔵より2年早く生涯を閉じている。幼い頃はお龍に子守をされていたともいわれる。長男の米熊と次女の友子は結婚し、子供がいたため三吉家の血統は続いている。
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