モンゴルに自由と統一を!日本人と共に民族独立を目指した悲劇の英雄・バボージャブの戦い【五】:3ページ目
盟友・川島浪速との出会い
さて、バボージャブたちが南北モンゴルの統一を目指す戦いを始めていた同じころ、満洲でも民族独立の動きがありました。
辛亥革命によって清国皇族が次々と粛清される中、日本陸軍の通訳官・川島浪速(かわしま なにわ)が粛親王・愛新覚羅善耆(アイシンギョロ シャンチー。あいしんかくら ぜんき)を救出。
同志である日本陸軍の貴志弥次郎(きし やじろう。参謀本部)や小磯國昭(こいそ くにあき。関東都督府参謀)らと組んで粛親王を擁立、満洲人国家の樹立(清朝の再興)を図ります。
「モンゴルでも独立の動きがあるようだから、連携しよう」
と、粛親王の妹婿であるグンサンノルブ(貢桑諾爾布。旧モンゴル王族)の伝手で、大モンゴル国に連携を申し出ました。
「満洲・モンゴルの連携が実現すれば、中華民国も容易には手が出せず、互いの民族独立も叶うだろう」
利害の一致した満洲とモンゴルが急速に接近する中、バボージャブは川島浪速との親交を深め、共にアジア解放の大義を語り合うまでの関係を育みます。
……が、満洲人国家の樹立計画は、その後ろ盾となっていた日本政府から「待った」がかかり、そのまま沙汰止みとなってしまいました。
「……仕方あるまい……日本としては、あまり露骨に独立運動を支援すれば、ロシアと中華民国を同時に敵に回すことになる……そこまでの国力はまだ回復していない筈だ……」
しかし、川島浪速との出会いはバボージャブにとって大きなものであり、その後も盟友として民族独立の闘いに大きな力を発揮するのでした。
※参考文献:
楊海英『チベットに舞う日本刀 モンゴル騎兵の現代史』文藝春秋、2014年11月
波多野勝『満蒙独立運動』PHP研究所、2001年2月
渡辺竜策『馬賊-日中戦争史の側面』中央公論新社、1964年4月