槍一本で伊勢守!幕末三舟の一人・高橋泥舟のまっすぐな生き方が美しい!:3ページ目
幕府滅亡後・その晩年
慶喜が江戸城から静岡へ去ると、泥舟はこれを護衛。いっとき田中城(現:静岡県藤枝市田中)を預かるなど幕府の残務処理に追われますが、明治四1871年の廃藩置県を機に職を辞し、江戸・牛込矢来町(現:東京都新宿区矢来町)に隠棲します。
晩年は書画骨董の鑑定などで生計を立てていたそうですが、明治二十一1888年に義弟・山岡鉄舟が53歳で没すると、生家・山岡家の抱えた借金の返済に追われることになります。
とりあえず当座の銭を工面しなくてはなりませんが、泥舟には借金の担保にできる土地も財産もありません。そこで困った泥舟は「拙者の顔が担保にござる」と啖呵を切ります。
ここで普通なら「おととい来やがれ」となりますが、よっぽど日頃の誠実さが知られていたようで「高橋様なら人を欺くような振る舞いはなされますまい」と、心ある者の助けを得ながら、コツコツ借金を返済していったそうです。
そして明治三十六1903年2月13日、矢来町の自宅で生涯を終え、大雄寺(現:東京都台東区谷中)の墓所に眠っています。享年69歳。
ひたすらに槍術を究め、槍のようにまっすぐ生き抜いて幕末期に重要な役割を果たした泥舟の生涯は、現代の私たちにも誠実な生き方の大切さを教えてくれるようです。
※参考文献:
松本健一『幕末の三舟 海舟・鉄舟・泥舟の生きかた』講談社選書メチエ、平成八1996年