日本にキリスト教をもたらしたフランシスコ・ザビエル。意外と知られていないザビエルのその後:2ページ目
日本での布教とザビエルの死
当初、薩摩に着いたザビエルたちは、領主の島津貴久から布教の許可をもらいます。ところが当地で仏教僧による迫害を受けたため、平戸(長崎)や周防(山口)に逃れます。周防では日本初の教会堂を与えられ、600人もの日本人がキリスト教徒になったと伝えられています。
その後、ザビエルは、九州から大阪、京都にまで布教活動をこなし、2年3ヶ月の間、日本に滞在しました。日本を去ったザビエルは、いったんゴアに帰任しますが、日本全土での布教のためには日本文化に大きな影響を与えている中国での宣教が不可欠と考え、中国行きを決意。1552年、中国の上川島に到着しましたが、現地で亡くなってしまいました。46歳でした。
ザビエルの死、その後…
ザビエルの死後、その遺骸は石灰を詰めて納棺し当初は現地で埋葬されましたが、ザビエルを慕う人々によってマラッカ、続いてゴアへと移送されました。そのうち、右腕の一部は、1614年にローマのイエズス会の命令でセバスティアン・ゴンザーレスにという人物によって切断されローマへ運ばれました。
この際、本人の死後50年以上経過しているにも係わらずその右腕からは鮮血がほとばしり、奇跡を起こしたと伝わります。現在、この右腕はローマ・ジェズ教会に安置されていますが、1949年(ザビエル来朝400年記念)、1999年(同450年記念)には日本にも運ばれ、腕型の箱に入れられたまま展示されました。
ザビエルの遺骸は現在、インドの遺骸はボン・ジェズ教会に安置されており、10年に1回のご開帳の際、その姿を拝むことができます。
日本のキリスト教布教に大きな影響を与えた人物ザビエル。彼は現在でもカトリックでは聖人として扱われています。ザビエル亡き後も多くの宣教師が彼に続き、日本や東アジアの地域にキリスト教を布教させました。
高校や中学校の歴史の教科書では、ほんの1,2行程度しか触れられていない人物。実はすごい人だったということ、おわかりいただけましたでしょうか。