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実は盗用。太宰治文学のキャッチフレーズ「生まれて、すみません」を考えたのは太宰治ではない

実は盗用。太宰治文学のキャッチフレーズ「生まれて、すみません」を考えたのは太宰治ではない

青森県の名家に生まれ、井伏鱒二に師事。明るくてユーモアもある一方で、暗く卑屈な面もあり、自身があるのかないのかわからない太宰治の生きざ様を表現した名言として知られている「生まれて、すみません」

太宰が28歳のときに発表した『二十世紀騎手』という作品の副題として使用されています。

(太宰治の記事はこちらもあわせてどうぞ)

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実は、この言葉、元々は太宰治自身の言葉ではなかったということはご存知でしょうか。

この言葉の産みの親は、当時、詩人として創作活動をしていた寺内寿太郎。寺内が、自分の詩の一説としていとこだった山岸外史に披露したところ、それが山岸とも交流があった太宰の耳へと伝わり、使われてしまったそうです。

今であれば、「それは盗用ではないか」「剽窃ではないか」とブーイングが起こりそうな話でありますが、この当時、山岸と太宰の間で「二人の会話に出てきた言葉は早い者勝ちで使ってもよい」という取り決めがあり、太宰はその取り決めにのっとってこの言葉を用いました。

1937年、この「二十世紀旗手」を読んだ寺内は、山岸のもとに駆けつけるなり、顔面蒼白となって「自分の生命を盗られたようなものだ」「駄目にされた。駄目にされた」と叫び、途方に暮れたといいます。

2ページ目 寺内は文学をやめ、躁鬱病に。そして失踪

 

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