大河ドラマ 西郷どんの予習に!幕末の英雄・西郷隆盛の10の歩みを分かりやすく解説 [戊辰戦争編]:2ページ目
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⑦ 江戸無血開城
東征軍参謀となり、江戸総攻撃を企てていた西郷は、英国の反対を受けて悩んでいました。そこへ、かつて人柄に惚れ込んだ旧幕府陸軍総裁の勝海舟から会談の申し込みが。その内容は、江戸総攻撃をやめてほしいというものでした。
江戸で2日間に渡る勝との会談の末、西郷は徳川家の処分について、勝の案をほとんど呑むかたちで江戸総攻撃を中止しました。
「いろいろむつかしい議論もありましょうが、私一身にかけてお引き受けします」
西郷のこの一言で江戸市民は生命と財産を守られ、徳川も滅亡を免れたと勝はのちに語りました。勝と西郷の立場を越えた絆は、生涯続きます。
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⑧ 佐幕派の庄内藩に寛大な措置
惨敗が続いた旧幕府軍でしたが、一つだけ新政府軍に勝ち続けた藩がありました。それが庄内藩(山形県)です。会津藩と共に奥羽越列藩同盟の中心となり、新政府軍と戦って一度も負ける事がありませんでした。
しかしその庄内藩も、仲間の米沢藩や会津藩などに続いてついに降伏。西郷は庄内藩に対し寛大な処分を命じます。仲間の会津藩が23万石からわずか3万石に減封の上、不毛不作の地へ転封という厳罰を受けたのに対し、庄内藩は西郷の口添えによって、17万石が12万石に減封され一時転封されたものの、30万両の献金で庄内に戻る事ができました。
庄内藩士はよほど西郷に恩を感じたらしく、のちの西南戦争の際にははるか鹿児島まで援軍に駆けつけました。
「明治編」につづく・・・
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【参考文献】
- 東京都歴史教育委員会「一冊でわかるイラストでわかる図解幕末・維新」
- 江戸文化歴史検定協会「疾走!幕末・維新 新選組結成から戊辰戦争まで」
- 学習研究社「図説 幕末戊辰西南戦争」
- あべまき/石黒宏親「マンガ 幕末は『論争』でわかる」
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