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『豊臣兄弟!』に未登場のリアルな戦国武士!四国攻め一宮城で散った秀長家臣・寺田生家とは何者?

『豊臣兄弟!』に未登場のリアルな戦国武士!四国攻め一宮城で散った秀長家臣・寺田生家とは何者?

天下一の補佐役として兄・秀吉の天下獲りを支えた豊臣秀長。その陣営には名軍師や猛将だけでなく、激動の戦国を泥臭く生き抜いた数々の武将たちが集っていました。

今回紹介する寺田生家(てらだ なりいえ)もその一人。三好家、織田信長、そして秀吉・秀長兄弟へと主君を変えながら、常に過酷な最前線へ身を投じ続けた武将です。

なぜ彼はめまぐるしく戦場を渡り歩き、そして秀長のもとで命を散らすことになったのか――。大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主役たちの陰に隠れた、リアルで壮絶な一人の戦国武士の生き様を追います。

『豊臣兄弟!』に関してはこちらの記事もぜひご覧ください。

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信長に仕え本願寺攻めへ

寺田生家は和泉国の国人・寺田知正(ともまさ)の子として、和泉国和泉郡寺田村(大阪府和泉市)で誕生しました。

生年や生母は不詳、弟には松浦宗清(まつら むねきよ。安太夫)がいます。

元服して寺田又右衛門(またえもん)と称し、父から家督を受け継いで故郷の寺田村を治めていました。

はじめは三好一族の松浦光(まつら ひかる。肥前守)に仕え、元亀年間(1570~1573年)には岸和田城(大阪府岸和田市)を任されていたといいます。

やがて天正元年(1573年)に入ると、織田信長の家臣となり、沼間任世(ぬま ただよ)らと共に和泉衆として編成されました。

和泉衆は石山本願寺攻めの支援に回され、例えば天正4年(1576年)には、大坂付近の青田刈りを命じられています。

これは石山本願寺の兵糧を損なうための嫌がらせで、地味だけど大きな効果を発揮するものでした。

また前線でも活躍しており、同じ天正4年(1576年)には第一次木津川口の戦いに従軍しています。

この戦いでは毛利勢に惨敗を喫し、多くの織田武将が討ち死にする中、又右衛門と安太夫の兄弟は何とか生き延びることができました。

2ページ目 数々の主君を渡り歩いた末に…秀長配下として挑んだ最後の戦い

 

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