『豊臣兄弟!』に未登場のリアルな戦国武士!四国攻め一宮城で散った秀長家臣・寺田生家とは何者?:3ページ目
寺田生家・人物データ
- 生没:生年不詳~天正13年(1585年)7月没
- 出身:和泉国和泉郡寺田村(大阪府和泉市)
- 出自:和泉国人領主
- 両親:寺田知正/生母不詳
- 通称:又右衛門
- 兄弟:松浦宗清(安太夫)
- 主君:松浦光→織田信長→佐久間信盛→蜂屋頼隆?→織田信張?→羽柴秀吉→中村一氏→羽柴秀長
- 戦歴:本願寺攻め・紀州攻め・四国攻めなど
- 死没:阿波国一宮城(徳島県徳島市)
- 死因:討死(四国攻め)
終わりに
今回は秀長に仕えた家臣の一人・寺田生家について、その生涯をたどってきました。
秀長と主従関係にあった期間はごくわずかですが、仕えたその日に討ち死にすることも覚悟せねばならないのが、武士の奉公というものです。
たとえ一日であっても主従の絆は確かに結ばれ、秀長も決して粗略には扱わなかったことでしょう。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」には登場しませんでしたが、華やかな活躍の陰では、こうした武将たちが多く奮闘していたのでした。
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※参考文献:
- 高柳光寿ら『戦国人名辞典』吉川弘文館、1981年10月
- 谷口克広ら監修『織田信長家臣人名辞典』吉川弘文館、1995年1月


