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『豊臣兄弟!』に未登場のリアルな戦国武士!四国攻め一宮城で散った秀長家臣・寺田生家とは何者?

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秀長の四国攻めで討ち死に

やがて佐久間信盛の与力となって本願寺攻めの任務を継続し、天正6年(1578年)には用木や軍船の調達に当たっています。

天正8年(1580年)に佐久間信盛が追放された後も織田家に仕え続けますが、その所属はハッキリしていません。

翌天正9年(1581年)の馬揃では和泉衆の一人となっているため、この時点では和泉衆を預かった蜂屋頼隆の与力となっていた可能性があります。

また天正10年(1582年)には織田信張(のぶはる)の配下として紀州攻めに従軍し、根来衆の泉職坊快厳(せんしきぼう かいげん)を討ち取りました。

もしかしたら、所属は一定せず作戦状況に応じてあちこちへあてがわれる遊軍的な存在だったとも考えられるでしょう。

そんな又右衛門は天正10年(1582年)に信長が本能寺で横死を遂げると、羽柴秀吉に仕えました。

天正11年(1583年)には中村一氏の与力につけられ、天正13年(1585年)の紀州攻めで武功を立てます。

同年6月から始まった四国攻めで、又右衛門は羽柴秀長の配下につけられ、阿波国へ出陣しました。

谷忠澄(たに ただずみ)や江村親俊(えむら ちかとし)らが守る阿波一宮城(徳島県徳島市)攻めに参戦し、ここで討ち死にしてしまったそうです。

3ページ目 寺田生家の略歴まとめ&総括

 

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