
驚きの捜査手法!鬼平・長谷川平蔵が江戸時代屈指の高い犯罪検挙率を誇ったのは何故か?【後編】:2ページ目
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「パトカー」のパイオニア?
また、火盗改の重要な任務が、放火犯の逮捕です。
火事が起きた際のマニュアルが『徳川禁令考』にあります。
まず届廻同心のうち1人、召捕方廻方の与力と手付同心のうち、火事番だった者と出火場近くを巡回している者が火元へ駆け付け、放火犯や火事場泥棒の逮捕にあたります。
ただし、火元や類焼者は、よほど怪しい場合以外はみだりに身柄を拘束しません。
事務方の与力同心は役所へ詰め、長官不在の役所の警戒にあたり、火事場が近ければ重要書類の持ち出しの準備を行います。そして役所詰の同心のうち手空きの2~3人は火元へ駆け付けます。
以上が火事の際の対処マニュアルですが、もし与力・同心の自宅近くで火事が発生した場合は出勤する必要はなく、勤務中であれば届出の上で帰宅が許されました。
幕府は、放火犯を逮捕した者には銀30枚の報奨金を出していたため、与力・同心は特に放火犯の召し捕りに力を入れました。
平蔵はこうしたマニュアルの内容を踏まえつつ、火災への対処法においても工夫をしています。
彼は火事場に向かう際には高提灯を掲げ、速やかに現場に駆け付けました。現在の赤色灯のようなもので、平蔵は日本におけるパトカーのパイオニアだったと言えるかも知れません。
この高提灯は平蔵がいない場合でも掲げられたため、「もう長谷川平蔵が出馬したのか」と驚いた者も多かったとか。
こうした独自の人脈や工夫が彼の犯罪捜査を支えており、庶民からも慕われることにもつながったのでしょう。
参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書
画像:photoAC,Wikipedia
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