
天皇の「万世一系」をくつがえす衝撃の学説!古代の天皇家に王朝交代はあったのか?【後編】
分かれる学説
【前編】でご紹介した三王朝交替説は支持者も少なくありません。
天皇の「万世一系」をくつがえす衝撃の学説!古代の天皇家に王朝交代はあったのか?【前編】
古代史学界に衝撃を与えた騎馬民族征服王朝説古代の日本がどのようにして始まり、誰が国を築いてきたかについて書かれたものといえば『古事記』と『日本書紀』ですね。この2書を「記紀」と呼ぶことも多いです。…
古王朝の歴代天皇の王宮と御陵が大和の三輪山の麓にあるので「三輪王朝」と呼び、中王朝の歴代天皇の王宮と御陵が河内に多いので「河内王朝」と呼ぶ専門家・研究者もいます。
また古王朝を「崇神王朝」、中王朝を「応神王朝」あるいは「仁徳王朝」とする説もあります。仁徳王朝とする説では、応神天皇と仁徳天皇がもともとは同一の人格だったという考えです。
この三王朝交替説を支持する専門家・研究者は、古王朝(三輪王朝)から中王朝(河内王朝)へと王朝交替があったとしますが、中王朝の本拠地がどこかによってさらに説が分かれます。
【前編】でご紹介した騎馬民族征服説のように、東北アジアから朝鮮半島を経由して渡来したとする説もあれば、本拠地は河内であるとする説もあるのです。
また、古王朝(三輪王朝)から中王朝(河内王朝)への王朝交替を認めず、両王朝は連続した政権だったという説も存在します。
共通しているのは、王朝交替説によれば歴代天皇は万世一系ではなく、王朝は古王朝から始まり、2回交替しているという点です。つまり、最後の新王朝(継体王朝)こそが、その後の天皇の祖先と考えられるわけですね。
もちろん、『日本書紀』にはそんなことは記されていません。それでは、継体天皇がどんな経緯で即位したのか見てみましょう。