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これは惚れる!戦国時代「長篠の戦い」勝利に貢献した足軽・鳥居強右衛門の胸アツ過ぎる生きざま【後編】

これは惚れる!戦国時代「長篠の戦い」勝利に貢献した足軽・鳥居強右衛門の胸アツ過ぎる生きざま【後編】

長篠の戦いで織田信長の勝利の陰に、鳥居強右衛門というあまり知られていない武士の活躍がありました。

窮地に陥った織田軍を救うべく、援軍の要請に成功した強右衛門の活躍はまだまだ続きます。

【前編】の記事はこちら

これは惚れる!戦国時代「長篠の戦い」勝利に貢献した足軽・鳥居強右衛門の胸アツ過ぎる生きざま!

長篠の戦いは、織田信長と徳川家康からなる連合軍が最新鋭の火縄銃を使った戦法で、戦国きっての猛者だった武田勝頼の騎馬隊を殲滅した戦いとして知られています。今回紹介する鳥居強右衛門(とりいすねえ…

あと一歩のところで…ついに万策尽きるか?

岡崎城で織田信長に窮状を訴え、長篠城に38000の援軍を出してもらえる約束を取り付けた鳥居強右衛門は、信長と家康に休んで行くように言われたのも断って引き返します。長篠から岡崎までの距離は片道65km、往復で130kmも鳥居は走ったのです。

長篠城を包囲している武田は精鋭を15,000も率いていますが、倍以上の織田・徳川連合ならば間違いなく彼らを蹴散らせますし、長篠城も陥落せずに済むでしょう。そんな鳥居の期待と希望を打ち砕いたのは、武田軍による捕縛でした。

彼が捕まった原因は、往復の際に上げた烽火だったという、何とも皮肉なものでした。16日の朝にも来た時と同じ烽火を上げてから長篠城に入ろうとしていたため、城から歓声が上がり、陥落しないのに武田軍の武士達も気づいていたのです。

鳥居を取り押さえさせた勝頼は、怒ると同時に彼の勇気ある人柄と行動力に惚れ込みます。
「援軍は来ないから降参しろと言いなさい。そうすれば、命は助けるし厚遇も約束しよう」
と鳥居を説得したのでした。長篠城を陥落させる上に勇将も得られるのですから、兵法の名手だった勝頼らしい一石二鳥の計略といえます。

敵の大将直々に称賛の言葉と厚遇を与えられたら、寝返りが当たり前の戦国時代では、藤堂高虎や竹中半兵衛のように承知するのが常識でもありました。鳥居も「分かりました」と一旦承知こそしますが、彼の腹は決まっていました。

2ページ目 命がけの叫びが長篠城の命運を変える

 

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