これは惚れる!戦国時代「長篠の戦い」勝利に貢献した足軽・鳥居強右衛門の胸アツ過ぎる生きざま【後編】:2ページ目
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程なくして長篠城門前に突き出された鳥居は、勝頼に言われたのとは正反対に
「援軍は2、3日もあれば来ます!それまで耐えて下さい!!」
と大声で叫び、貞昌を始めとした奥平軍の士気を大いに奮い立たせたのでした。
降伏しなかった鳥居はこの直後、勝頼の命で磔もしくは斬首され、数え年にして36歳の若さで世を去ったのでした。
鳥居は長篠の勝利を見ずして散りましたが、その壮絶な末路は敵味方を問わず感銘を与えました。処刑前の鳥居と親しくなった武田家家臣・落合左平次道久は、磔になった鳥居の姿を絵にした旗指物でその勇気を讃えました。半裸で逆さ吊りにされた厳つい風貌をした男性の意匠が施された旗指物は、今も現存しています。
また、信長はその死を悲しんで鳥居の妻の出身地・作手村(新城市作手)に墓を建立させ、主人であった奥平貞昌は鳥居の子孫を手厚く待遇してして、強右衛門の手柄に報い、子孫は現在まで続くこととなりました。
戦国時代で熱い生き様を見せた人物と言えば武将のイメージが強いですが、その他の人々も苛烈な時代を自分なりに切り抜けていました。鳥居強右衛門は、下級武士でありながら武将に匹敵する闘志を持った一人だったといえます。
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