
これは惚れる!戦国時代「長篠の戦い」勝利に貢献した足軽・鳥居強右衛門の胸アツ過ぎる生きざま!
長篠の戦いは、織田信長と徳川家康からなる連合軍が最新鋭の火縄銃を使った戦法で、戦国きっての猛者だった武田勝頼の騎馬隊を殲滅した戦いとして知られています。
今回紹介する鳥居強右衛門(とりいすねえもん)は、その命を捨てて勝利を陰ながら支えた立役者である連合軍の武士です。
名前だけ聞くと「そんな名前の人、実在したの?」と疑問に持たれる方も多いでしょう。実際、名前が名前なだけに『ドラえもん』にでも登場しそうな架空のキャラクターという印象を受けかねませんね。
鳥居強右衛門はれっきとした実在の人物で、その戦いぶりと散り際は敵味方を問わず感銘を与えました。もしも彼がいなければ、長篠城前の設楽原に信長が布陣することは叶わず、歴史に残る大勝利はなかったかもしれないのです。
その活躍ぶりの割には、あまり知られていない鳥居強右衛門の大奮闘を紹介していきます。
身分も知名度も低い足軽の鳥居

鳥居強右衛門は天文9年(1540年)、三河国宝飯郡(愛知県豊川市)に生まれたといわれ、三河の豪族だった奥平家に仕える家臣が家来として召し抱えていた下級武士でした。
強右衛門についての現存する資料は数少なく、生い立ちなどについてはほとんど知られていません。無名の足軽だった彼が歴史の表舞台に登場したのが、長篠城防衛戦の時です。
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