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これは惚れる!戦国時代「長篠の戦い」勝利に貢献した足軽・鳥居強右衛門の胸アツ過ぎる生きざま!

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長篠の戦いにおける連合軍が勝利した理由は様々ですが、信長が布陣した設楽原の手前にあった、長篠城が陥落しなかったのもその一因といえます。しかし、この長篠城は家康の娘婿でもあった城主・奥平貞昌が500の兵を率いて守ったのに対し、武田勝頼が率いる武田軍の精鋭15,000に包囲されていたのです。

奥平家の奮戦もむなしく、食糧庫も火矢による攻撃で焼き討ちされてしまった長篠城は、陥落必至の状況に追い込まれていました。この窮地を救うには援軍を呼ぶほかなく、援軍要請の任務に名乗りを上げたのが鳥居でした。

重大任務に下級武士が大抜擢されたのには、身分にこだわっていられない非常事態であったことに加えて、身体能力が高く、身分の低さゆえに敵方に顔を知られていないことが考慮されたようです。

不可能を可能に。ひた走った漢。

水泳に秀でていた彼は、天正3年(1575年)5月14日の夜に城の下水口から抜け出し川を泳いで、武田軍の目を盗んで岡崎城に向かいます。首尾良く長篠城を脱出した鳥居は翌15日、烽火で自軍に脱出成功を知らせると、一路岡崎城へとひた走ります。

鳥居の健脚と体力は超人的なもので、その日の午後には岡崎に入城します。ちょうど到着していた信長に謁見し、計38000の援軍を長篠に出撃させるとの盟約を取りつけることに成功するのでした。

鳥居強右衛門の活躍はこれでは終わりません。この後、長篠の戦いに大きな影響を与える働きをするのです。

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これは惚れる!戦国時代「長篠の戦い」勝利に貢献した足軽・鳥居強右衛門の胸アツ過ぎる生きざま【後編】

長篠の戦いで織田信長の勝利の陰に、鳥居強右衛門というあまり知られていない武士の活躍がありました。窮地に陥った織田軍を救うべく、援軍の要請に成功した強右衛門の活躍はまだまだ続きます。…
 

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