紫式部が藤原道長の娘の懐妊から出産までを克明に記録。重要史料『紫式部日記』ができるまで【光る君へ】:2ページ目
『紫式部日記』の誕生
この頃から式部が書き留めていた材料を、寛弘7(1010)年秋頃に自身で整理してまとめたものが『紫式部日記』だと考えられています。
現在に伝わる『紫式部日記』は、中宮・彰子が里帰りした土御門殿の初秋の様子を伝える次の一節で幕を開けます。
秋のけはひ入りたつままに、土御門殿のありさま、 いはむ方なくをかし
(秋の気配が深まるにつれて、土御門殿のたたずまいは、言葉にできないほどの趣がある)
この後の9月11日、彰子は無事に敦成親王(後の後一条天皇)を出産。紫式部は彰子に仕える女房ならではの視点で、出産後3・5・7・9日目に行われた産養や御湯殿の儀の様子などを克明に記録しています。
ちなみにいずれも平安貴族の通過儀礼で、産養とは親類縁者が参集して祝宴を開くもの。また、御湯殿の儀は皇子に産湯を浴びせる儀式です。