すっ飛ばされた4年間、みんなの年齢まとめ、派手な衣装の宣孝…大河ドラマ「光る君へ」3月31日放送振り返り:5ページ目
藤原宣孝の御嶽詣で
永祚2年(990)3月、藤原宣孝は派手な衣装で御嶽詣でに行ってきました。
この様子は清少納言(ききょう)の随筆『枕草子』で批判的に書かれています。
意訳すると「何なの、あの派手な衣装は。厳粛な空気が台無しったらありゃしない。でもまぁ、目立って神様のお目にとまったからか、出世できて何よりね」と言ったところ。
後にまひろ(紫式部)の夫となる宣孝をバカにしたことが、面識もない清少納言を批判させる動機になったとの説もあります。
が、流石に(二人の結婚から)10年近く昔のことを、そういつまでもネチネチ恨むでしょうか。
……いや、まぁ恨みますね紫式部なら。彼女はそういうヤツです。
ちなみに、現時点において宣孝には三人の息子が生まれています。
劇中では婿をとらせてくれないか、と為時が宣孝に頼んでいましたね。
【宣孝の息子たち】
- 藤原隆光(天延元・973年生)母は藤原顕猷女
- 藤原頼宣(よりのぶ。生年不詳)母は平季明女
- 藤原隆佐(寛和元・985年生)母は藤原朝成女
※以下略(まだ生まれていないか、定かでない)
まひろの婿になれそうなのは、長男の藤原隆光(まひろの3歳年下)くらいでしょうか。
「いやいや、まひろとは教養的に釣り合わない」
などと断る宣孝でしたが、その真意は(1)不遇の為時に深入りしたくない(2)本当に釣り合わないと思っている(3)むしろ自分が……どれでしょうね。
第14回放送「星落ちてなお」
今週も色々と盛りだくさんな(だけど実はすっ飛ばしている)回でしたね。ちょっとネタが多くて拾い切れなかったので、また改めて紹介しましょう。
さて、兼家の「政とは、我が家を保つこと。それを理解する者こそ後継者と知れ」という言葉を受けて、道長の反発する展開が期待されます。
兼家の死後、兄弟による骨肉の争いがいよいよ幕を開ける……平安時代のお楽しみと言えば、この政争劇。次週も目が離せませんね!
トップ画像:大河ドラマ「光る君へ」公式ページより