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邪気を祓う魔除け!?古くから神聖な食べ物とされた「小豆」はいかにしてスイーツとなったか?【前編】

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和菓子の歴史

さて次に、和菓子の歴史を簡単に振り返ります。

古代の日本では、菓子はフルーツを意味しており「果子」と表記されることもあったようです。いわゆる「お菓子」として知られるようになったのは七世紀頃と言われており、中国から「唐菓子」がもたらされたのがきっかけでした。

平安時代は、こうしたお菓子は宮中の宴会料理や、神事で神様に捧げる神饌(しんせん)として用いられていました。高級品であり、神聖なアイテムでもあったということです。

当時のお菓子の特徴は、米や麦の粉を練って揚げたものがメインだったことです。例えば索餅(さくべい)餛飩(こんとん)などで、中には、今では麺類の範疇に入るものもありました。

「あんこのスイーツ」は鎌倉時代から

さて小豆とあんこですが、伝来したばかりの頃はスイーツの材料として捉えられていたかどうか、少し怪しいようです。

そもそも甘味料がありません。砂糖は江戸時代中期頃までは高級な輸入品だったので、少なくとも初期の頃は、小豆は豆料理として食べるのが普通だったと思われます。

昔の小豆の食べ方としては、塩で味付けをする、煮汁を飲むなどが主でした。あるいは甘葛(あまづら)いう植物の煮汁や干柿などを使って甘い味をつけていたようです。

甘い小豆あんが歴史上いつ登場したのかははっきりしません。少なくとも鎌倉時代は、甘くない塩あんが主でした。

とはいえ、「小豆あん+餅」という、今では定番の組み合わせは鎌倉時代末期には登場しています。当時の記録でも「焼き餅は小豆を中に込め、しるこ餅は小豆を上につける」と書かれています。

かつて、スイーツの餅は焼いていたんですね。餅であんこを包むと言えば大福ですが、焼いた大福というのはちょっと想像がつかないかも知れません。しかし、太宰府市の名物である梅ヶ枝餅などの例もあります。

【後編】では、甘い和菓子が日本で発展していった経緯や、現代の粒あん・こしあんの違いなどについて解説します。

【後編】の記事はこちらから

参考資料:

 

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