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足利義昭、あらため昌山道休のこと
京都を追放されて以来、久しぶりに登場した室町幕府の第15代将軍・足利義昭(古田新太)。今は出家して昌山道休と号しています。
元亀4年(1573年。天正元年)7月18日に槇島城で織田信長に降伏・追放されてからの動きをざっくりおさらいしましょう。
槇島城から摂津の若江城に移された義昭は7月24日付で中国地方の覇者たる毛利輝元(吹越満)らに幕府再興の支援を要請しました。本当に懲りないひとですね。
他にも石山本願寺や上杉謙信などに援助を求め、また大名間の争いについて和睦を仲介するなど、なおも将軍然と振る舞います。
実際に義昭は天正16年(1588年)まで征夷大将軍の座にあり、天正4年(1576年)には備後国鞆(とも。広島県福山市)に亡命政権を樹立しました。これを鞆幕府と解釈する説もあるようです。
鞆の地はかつて初代室町将軍・足利尊氏が再起を図った場所であり、実際に義昭も天正15年(1587年)に京都への帰還を果たしました。本当に悪運の強いひとですね。
将軍職を辞した後に皇族と同等待遇である准三宮(じゅさんぐう)に宣下され、出家して昌山道休と号します。家康たちの元を訪ねたのは恐らくフィクションでしょう。
そして慶長2年(1597年)8月28日、大坂で薨去したということです。劇中では実に出来過ぎたタイミングで現れて、権力者の孤独を語って去ってゆく、実に都合のよい舞台装置として活躍しました。
権力者は山のてっぺんで、何もかもよく見えるかと思ったらさにあらず。霞がかかって何も見えず、聞こえて来るのはおべんちゃらばかり。だから厳しいことを言ってくれる家康を大事にしなさい。
……もちろんいいことを言っているとは思います。思うのですが、かつて酔っ払いながらコンフェイト(金平糖)を頬張っていた暗君ぶりからどうしてその境地に至ったのか、その過程こそがドラマの醍醐味ではないでしょうか。
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