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「そなたは、江戸」豊臣秀吉に関東移封を命じられた神の君・徳川家康、実際の反応は?【どうする家康】:4ページ目
たとえ奥州に移ろうとも……家康の心意気
……されば御家人等は御国換ありとの風説を聞て大に驚き騒しを。 君聞召。汝等さのみ心を労する事勿れ。我たとひ舊領をはなれ。奥の国にもせよ百万石の領地さへあらば。上方に切てのぼらん事容易なりと仰ありて。自若としてましましけるとぞ。果して八州の地御領に帰して後。彌我国勢強大に及び。終に大業を開かせ給ふにいたりては。天意神慮の致すところ。秀吉私智私力をもて争ふべきにあらざりけり。)……
※『東照宮御実紀』巻四 天正十八年「秀吉封家康于関東」
そんな秀吉の見え透いた悪意を感じ取り、徳川家臣団は上を下への大騒ぎです。
「これは関白の陰謀だ!」
「訳も解らん土地へ追いやられ、真綿で首を絞められるくらいなら、今ここで一戦交えようぞ!」
……などなど。しかし「我らが神の君」は動ぜざること山のごとく、家臣たちを諭して言いました。
「そのように案じることはないぞ。わしはたとえ駿府を離れてどこへ行こうが、それこそ奥州であろうが百万石ばかりも所領があれば、たちまち都へ斬り上がること造作もないわい」
泰然自若たる様子に、家臣一同も落ち着きを取り戻し、粛々と関東の新天地へと向かったのです。
その後、江戸の地を切り拓いて東国随一の大都市に発展させ、ついには豊臣家をもしのいだことは後世に伝わるとおり。
これまさしく天のご意思にして神様のお計らい。秀吉ごときの猿知恵の及ぶところではありませんでした。
……という次第。もし秀吉が家康に江戸ひいては関東を与えなかったら、そこまで国力をつけられず、天下の行く末も大きく変わっていたかも知れませんね。
果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、江戸のまちづくりや関東の基盤整備などがどのように描かれるのでしょうか。とても楽しみにしています。
※参考文献:
- 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
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