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「どうする家康」今までずっと、ありがとう!そして新天地へ…第37回放送「さらば三河家臣団」振り返り:6ページ目
家康、江戸をつくるの巻
さて、湿地ばかりの吹きっさらしな江戸へやってきた「我らが神の君」。かつて穢土(えど。けがれた大地)と蔑まれてはいましたが、よく考えれば秀吉が発展させた大坂だって元は湿地ばかりでした。
つまりこれは扱いにくい湿地帯をどのように開拓するかで家康の力量を見定めた、あるいは家康なら東国をも大きく発展させられると見込んだからこそ……とも言えるのではないでしょうか。
実際の家康だって住み慣れた駿府を離れ、岡崎や浜松を明け渡すのは嫌だったでしょう。しかしいざ江戸の大地(というより関東平野)を目にしたら、どこまでも広がる可能性に心躍ったことと思います。
まさにフロンティア(開拓最前線)。確かに資金や労力はかかるから、当分秀吉に逆らうための力は削がれるでしょうが、それを補って余りある恩恵を確信したはずです。
「やってやるぞ!」
もしかしたら、秀吉は意地悪で江戸を指定したのかも知れません。それならそれで、いつか必ず豊臣を倒すための力をここで蓄えて見せる。そういう高揚感を、演じて欲しかったと思います。
さっそく始まった江戸のまちづくり。ここで活躍していた伊奈忠次(なだぎ武)は、これまで二度も徳川家から離反した過去がありました。
一回目は三河一向一揆(第8~9回放送時点)で、二回目は築山殿事件(第25回放送時点)で出奔しています。
舞い戻ったタイミングはそれぞれ長篠合戦(第22回放送時点)と神君伊賀越え(第29回放送時点)、出たり入ったり実に忙しい人生です。
ちなみに父の伊奈忠家は織田信雄(浜野謙太)に仕えるよう命じられ、三度も徳川家を離れました。後に今回、国替えを拒否したことで改易されたため、徳川家を舞い戻って忠次の世話になっています。
また余談ながら、忠次の姉に“たね(豊嶋花)”がいました。覚えていますか?彼女(仁木助左衛門妻)は瀬名の死に殉じて入水自殺を遂げています(劇中では描写なし)。
話を戻して、これから江戸のまちづくりが面白くなってくるところですが……残念ながらそんなことに尺をとる余裕はなさそうです。
まちづくりやルール整備(それに伴う利害関係の調整など)といった政治的な面白さを、分かりやすく若い世代に伝える描写も時代劇の醍醐味だと思うのですが、それは今後に期待しましょう。
第38回放送「唐入り」
いきなり届けられた朱印状には、鶴松の死に狂ってしまった?秀吉による「唐入り」命令がつづられていたようです。
ちなみに秀吉の「唐入り」計画はそれ以前からあったようですが、今回はそういう設定とご理解下さい。
世に言う朝鮮出兵(文禄の役・慶長の役)の火蓋が切って落とされ、我らが神の君は秀吉と共に前線基地の名護屋城へ入ります。
しかし徳川家臣団の主だった武将で渡海した者は見当たらないため、恐らくほぼナレーションで終わるでしょう。加藤清正(淵上泰史)や福島正則(深水元基)、真田昌幸・信幸(吉村界人)らの活躍が観られたら嬉しいですが……。
予告編では茶々(北川景子)が「お慕いしております」と家康すり寄り、また耄碌しつつある秀吉に「見苦しいぞ、猿」と叱りつけるなど、豊臣政権の斜陽を感じさせます。
暴走する秀吉をどのように止めるのか(実際は死ぬまで止まらないのですが)、次週も「我らが神の君」の活躍に期待しましょう!
※参考文献:
- 煎本増夫『徳川家臣団の事典』東京堂出版、2015年1月
- 小川雄ら『阿茶局』文英社、2015年10月
- 笠谷和比古ら『秀吉の野望と誤算 文禄・慶長の役と関ヶ原合戦』文英堂、2000年6月
- 黒田基樹『中世武士選書8 戦国北条氏五代』戎光祥出版、2012年1月
- 中野等『戦争の日本史16 文禄・慶長の役』吉川弘文館、2008年1月
- 本郷和人『徳川家康という人』河出書房新社、2022年10月
- 『寛政重脩諸家譜 第五輯』国立国会図書館デジタルコレクション
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