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日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【前編】

日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【前編】

満州事変勃発

名門である近衛家の出身で年若く、おまけに長身でハンサムな近衛が組閣するとあって、国民・政界・軍部・さらには左翼陣営までもが彼を歓迎したといいます。

近衛は「各方面の相互摩擦の緩和に重点を置き、真に挙国一致の協力を」と謳って颯爽と政界に登場しました。

彼はもともと特定の政治勢力がバックについている立場ではなかったので、ラジオを活用してアピールするなど、大衆の人気を最大限に利用する方策を採っています。

しかし、彼が組閣してから一カ月ほど経った七月七日に盧溝橋事件が勃発しました。満州事変の始まりです。ここで、近衛内閣は最初は「不拡大」方針をとって、中国との戦いを広げないことにします。

しかしここで、近衛の優柔不断な性格が災いしました。一度は不拡大の方針をとったはずなのに、杉山元陸相からの要請を受けて中国へ軍隊を派遣することに決めたのです。

実はこの頃、現地では停戦協定が結ばれていました。中国側からすれば日本は矛盾した対応をしていることになります。中国政府は近衛の派兵方針に怒りました。

ここで近衛が再び「不拡大」方針をとればよかったのですが、近衛は陸軍の対中強硬策にずるずると引っぱられる形になってしまいます。

続きは【中編】【後編】に分けて説明しましょう。

【中編】はこちらから

参考資料
八幡和郎『歴代総理の通信簿』2006年、PHP新書
宇治敏彦/編『首相列伝』2001年、東京書籍
サプライズBOOK『総理大臣全62人の評価と功績』2020年
倉山満『真実の日米開戦 隠蔽された近衛文麿の戦争責任』2017年、宝島社
倉山満『学校では教えられない歴史講義 満州事変』2018年、KKベストセラーズ
井上寿一『教養としての「昭和史」集中講義』2016年、SB新書

 

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