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家康の三男・長丸(徳川秀忠)誕生!しかし……
さて、家康たちが和気あいあいと戦争ごkk……もとい「築山の謀」を楽しんでいた天正7年(1579年)。安土城では、信長様がご立腹です。
「まだ高天神城も落とせんのか!」
お目付け役の職務怠慢を責められ、震え上がる佐久間信盛(演:立川談春)の背後には、歴史的に有名な安土城の天守閣……え、ここはどこですか?
山頂に建つ安土城の天守閣(約32メートル)がほぼ丸ごと見えているということは、かなり離れているはずです。標高もかなりありそうです。
まぁ、現存していない場所に謁見の間みたいなものがあったのでしょう。そういうことにしましょう(もしかしたら、そういう新史料が発見されたのかも知れません)。
ところで信長が安土城に入ったのは天正7年(1579年)5月。ということは、家康ファミリーにもちょっと変化があった筈です。
そう、側室に迎えた於愛の方(演:広瀬アリス。西郷局)が、4月7日に家康の三男・長丸(ちょうまる。後の徳川秀忠)を産んだのでした。
……七年の卯月七日に浜松の城にしては三郎君生れたまふ。是ぞ後に天下の御ゆづりをうけつがせ給ひし 台徳院太政大臣の御事なり。御母君は西郷の局と申。さしつづき翌年この腹にまた四郎君生れ給ふ。是薩摩中将忠吉卿とぞ申き。……
※『東照宮御実紀』巻三 天正六年-同七年「天正七年秀忠生」
この「台徳院太政大臣」というのが徳川秀忠(ひでただ)。今回の終盤(謀が洩れた時点)では既に生まれているはずですが、なぜか登場していませんね。当時の徳川家はお祝いムード真っただ中だったと思われますが……。
今から悲劇が予定されているので、素直に喜べないのでしょうね。そのご都合主義、よく解ります。
せっかく信康が後継者の座を譲り、出家遁世できる男児が生まれたというのに、もっとお祝いしてあげて欲しいですね。
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