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【朝ドラ らんまん】要潤演じる田邊彰久のモデル!東京大学理学部の初代教授・矢田部良吉の生涯②

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帰国後は初等教育から大学教育まで!多岐に渡った矢田部良吉の活動

アメリカの地で学問を修めた良吉は、やがて帰国の途につきます。

かつて勤めていた開成学校は、東京開成学校へと改称・再編されていました。ここで良吉は教授として迎え入れられます。

明治101877)年211日、東京開成学校は東京医学校と統合。東京大学へと改編されました。

東京大学は法学部・理学部・文学部・医学部の4学部を持つ日本で初めての大学として歩みを始めたのです。

良吉は学識と留学経験を買われて理学部の初代教授に抜擢。かつてコーネル大学で学んだ、植物に関する講義を担当していきます。

担当する植物学は、形態・分類・生理など多岐にわたるもので、日本にはまだ馴染みのない分野でした。

さらに良吉は、大学教育だけでなく初等教育においても関わりを持っています。

ドラマでは田邊教授をして「コーネル大学の教科書がお好み」と言われていましたね。

実際の矢田部良吉も、欧米の代表的な初等教科書の翻訳出版に関わるなど、最新知識に取り組みました。

出張は数十回?植物採集に捧げた日々

東京大学において、良吉は植物学の講義に熱心に取り組みます。

朝ドラの田邊教授は少し気取ったところがありますが、実際の良吉は熱心に基本となる植物の標本採集に取り組んでいました。

助教授であった松村任三によると、良吉の標本採集による全出張は数十回に及んだとされます。

明治101877)年には、実際に同僚のE・モースが企画した北海道への旅行に同行。標本採集旅行の日誌をつけています。

さらに、毎週日曜日には、東京近郊で標本のための植物採集を実施。小石川植物園などで採集した植物を記録に残しています。

良吉はけして片手間で植物学に取り組んでいたわけではありませんでした。

日本には、中国から伝来した本草学という学問がありました。

しかし本草学は、植物だけでなく動物や鉱物も扱い、植物だけを専門にはしていません。

日本における植物学はまだ黎明期にあり、良吉は発展のために植物標本を採集する必要があったのです。

 

【その3】はこちらから

 

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