徳川四天王・榊原康政の旗印「無」に込められた意味は?その公正無私な生き様を見よ【どうする家康】:2ページ目
「殺すならば殺しなされ」
七郎右衛門長政の子、小平太と称す。後従四位下に叙し、侍従兼式部太輔に任ず、館林十万石に封ぜらる。慶長十一年五月十四日卒、年五十九。
※『名将言行録』巻之五十五○榊原康政
家康の嫡男・岡崎三郎信康(おかざき さぶろうのぶやす。松平信康)は英雄の気質が勝ち過ぎたせいか、しばしば不始末を起こしたとか。
「三郎様!かようなお振舞いを続けられては民心が離れ、国も治まりませぬ。どうかお考えいただきたい!」
「黙れ小平太(こへいた。康政)!わしのやることなすことケチばかりつけおって!」
若気のいたりか、堪忍袋の緒が切れた信康は近くにあった弓をとって矢をつがえ、その鏃(やじり。先端)を康政に向けました。
しかし康政は寸毫も身じろがず、毅然として言い返します。
「ふん。道理で敵わねば武力に訴えられるか……それがしが常やかましく申しておるのは三郎様御身のため、ひいては御屋形様(家康)そして御家のためにござる」
「それが気にくわぬと殺すのも結構。御屋形様はご立腹あそばされましょうが、それでも構わぬと仰せであれば、どうぞ殺しなされ」
忠義をまっとうできるなら、我が身命に未練はない。そんな康政の無私な態度に心打たれたのか、信康は怒りを鎮めたということです。
終わりに
岡崎三郎信康、行跡宜しからず、康政折々異見申しヽかども、却て憎まれける。或時諫言申ければ、殊の外憤り、側なる弓を取り、箭を番ひ、既に射放すべき様子■(に)てありけれども、少しも騒がず、御為めと存じ申し上ぐる義を、御心に叶はず御殺し成され候はゞ、大殿御立腹、御前御為め然るべからず候、夫れともに御構成されず候はゞ、兎も角も思召次第に候と申し、少しも退く気色なし。信康にも、實にもとや思はれけん、気色も直り、其詞捨難くやありけん、終に承引ありしとぞ。
※『名将言行録』巻之五十五○榊原康政
以上、松平信康に諫言した榊原康政のエピソードを紹介してきました。いかにも三河武士らしい剛直な態度が、家康に愛されたことでしょう(なお、康政の康は家康から拝領しています)。
NHK大河ドラマ「どうする家康」では杉野遥亮が演じる榊原康政。彼の活躍ぶりが、今から楽しみですね!
※参考文献:
- 岡谷繁実『名将言行録 (七)』岩波文庫、1944年8月