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源実朝と前世の絆が?テイ龍進の演じる宋人・陳和卿とは何者か【鎌倉殿の13人】

源実朝と前世の絆が?テイ龍進の演じる宋人・陳和卿とは何者か【鎌倉殿の13人】

いざ宋へ!大きな船を造らせたが……

「そうだ 医王山、行こう。」

建保4年(1216年)11月24日、実朝はそんなことを言い出しました。

晴。將軍家爲拝先生御住所醫王山給。可令渡唐御之由。依思食立。可修造唐船之由。仰宋人和卿。又扈從人被定六十餘輩。朝光奉行之。相州。奥州頻以雖被諌申之。不能御許容。及造船沙汰云々。

※『吾妻鏡』建保4年(1216年)11月24日条

「陳殿に船を設計していただき、いざ大宋国へ渡るのだ!」

思い立ったが吉日、実朝はさっそく結城朝光(演:高橋侃)に命じてお供する60数名を選抜、日程なども調整させました。

「いや、ちょっとお待ち下さい。鎌倉殿が鎌倉どころか日本をお留守にされると言うのは……」

「そうです。何かあったらどうなされるおつもりか!」

北条義時(演:小栗旬)と大江広元が必死に止めますが、それで思いとどまる実朝ではありません。

「……むしろ我のおらぬ方が、そなたらの自由にできて都合がよかろう?」

なんて嫌味を言ったかどうだか、ためらうことなく陳和卿を監督として造船を命じます。

日ごろは義時の言いなりに見えて、こうと決めたらテコでも動かない実朝のこと。このままでは、本当に宋へ渡ってしまうでしょう。

「もしかしたら、二度と鎌倉へ戻って来ないつもりなのかも知れない」

「鎌倉殿がいなくなれば御家人たちはまとまらず、さらには我らが東国を支配する正当性も失いかねない」

まさか実朝の狙いはそこなのか……不安な日々を過ごしながら、建保4年(1217年)は暮れていったのでした。

晴。宋人和卿造畢唐船。今日召數百輩疋夫於諸御家人。擬浮彼船於由比浦。即有御出。右京兆〔義時〕監臨給。信濃守行光爲今日行事。随和卿之訓説。諸人盡筋力而曳之。自午剋至申斜。然而此所之爲躰。唐船非可出入之海浦之間。不能浮出。仍還御。彼船徒朽損于砂頭云々。

※『吾妻鏡』建保5年(1217年)4月17日条

さぁ、いよいよ念願の船が完成。今日はめでたく進水式です。由比ヶ浜には数百人の人夫や御家人が集まり、実朝や義時も観閲に来ています。

「行くぞ!」「「「そーれっ!」」」

……あれ。船を曳いても、海上に浮かんでくれません。どうやら海底が遠浅なため、大きな船は出航できないようです。

「「「そーれっ!」」」

けっきょく午刻(正午ごろ)から申の斜め(夕方17:00過ぎ)まで頑張ったものの、とうとう船は浮かびませんでした。

「……帰るぞ」

「ははあ」

船は解体することもできずに放棄され、風雨のなぶるまま朽ち果てて行ったそうです。

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