可能性は十分ありえた?後白河法皇が源頼朝に発した平家討伐の密旨【鎌倉殿の13人】:2ページ目
後白河法皇が頼朝に発した密旨、その内容は?
残念ながら、後白河法皇が頼朝に対して密旨を発したとする史料はなく、その文面は存否も含め不明です。
なので、大河ドラマ館に展示されている「後白河法皇密旨」は製作スタッフによるオリジナル(創作)となります。
可早追討清盛入道并一類事
右彼一類非怱緒朝家失神威亡仏法既爲仏神怨敵且爲王法朝敵仍前右兵衛左源頼朝宜令追討彼輩早奉息逆鱗之状依 院宣執達如件
治承四年六月拾九日 前右兵衛督藤原光能奉
謹上 前右兵衛権佐殿※NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」撮影使用品「後白河法皇密旨」書写
【意訳】早く平清盛とその一族を追討すべきこと
右の者らは朝廷の権威を失わせ、仏法を滅ぼす怨敵である。よって前右兵衛佐源頼朝にこれを討ち、早く逆鱗(お怒り)を息(安)らげるよう命じる。院宣(院=後白河法皇の仰せ)はこの通りである。
治承4年(1180年)6月19日 前右兵衛督藤原光能(さきのひょうゑのかみ ふじわらの みつよし)が院お言葉を奉り、前右兵衛権佐(さきのうひょうゑ ごんのすけ=頼朝)殿へ謹上する。
……差出人は藤原光能。前(さき。元職)とはいえ同じ右兵衛府(部署)に仕えたことがあり、頼朝の上司筋に当たる人物です(両者の面識は多分ありませんが、こういう筋を非常に重んじるのが官僚らしいですね)。
兵衛督(ひょうゑのかみ)は兵衛府における長官(一等官)で、兵衛佐(ひょうゑのすけ。次官・二等官)よりも上位になります。
ちなみに頼朝についている権(ごん)とは「かり(仮、定員外)」を意味し、一種の名誉職でした。対して光能は権なしの正規職員です。
で、なぜ上司が部下に対して「謹上」しているかと言えば、それは後白河法皇のお言葉を伝えて(奉って)いるから。
院宣を伝える人選(伝える相手によって、伝え手もきちんと選ぶところ)と言い、こういう形式をきちんと守る辺り、律令時代から令和の現代までずっと変わらない日本のお役所感(そしてある種の安心感)を覚えます。