「鎌倉殿の13人」奥州を滅ぼしたい頼朝、何とか止めたい後白河法皇…第21回放送「仏の眼差し」予習:2ページ目
奥州征伐の大義名分が欲しい頼朝、渋る朝廷にどう対処した?
文治5年(1189年)5月22日、奥州の藤原泰衡より「義経を討った」という旨の使者が鎌倉にやってきました。
「さる閏4月30日に義経を討ち取りました。首級はこれから送ります(意訳)」
計画通り。義経さえいなくなれば、既に藤原秀衡(演:田中泯)も亡い奥州など恐るに足らぬ。あとはどのタイミングで攻め込むか……と思っていた6月8日、後白河法皇よりこんな宣旨が届きます。
「義顕(義経の変名)を討ち滅ぼしたこと、誠に喜ばしい。これで謀叛人はいなくなったので、日本を平和にするため戦いをやめにしなさい(意訳)」
これは要するに「義経を討って満足しただろ?もう泰衡は見逃してやれ」というメッセージ。
確かに泰衡は要求通りに義経を討ったのだから、罰せられる筋合いはありません。でも、頼朝としてはどうしても討ちたいのです。
6月25日、頼朝はダメ元で泰衡追討の宣旨を下さるよう使者を発しました。同時進行で6月27日、どうしても宣旨が下らなかった場合に奥州征伐を強行するべく、軍勢を集めるよう和田義盛(演:横田栄司)と梶原景時(演:中村獅童)に命じます。
たぶん後白河法皇も頼朝の武力を恐れてなぁなぁにしてくれる……とは思っていても、やはり大義名分は欲しいところ。
そこで6月30日、古老の大庭景義(おおば かげよし。景能)を召し出して知恵を求めました。余談ながらこの景義、頼朝に討たれた大庭景親(演:國村隼)の異母兄です。
「まだ勅許(朝廷のお許し。院宣)がないのだが、このまま奥州に兵を出して大丈夫だろうかね?」
頼朝の諮問に対して、景能が答えます。
「古来、兵法に『軍中、将軍の令を聞いて天子の詔を聞かず』と言います。すでにお伺いは立てたのだから、そのお返事を待つ必要はございませぬ」
戦場にあって国家の命運を担う指揮官の現場判断は、時として天子(天皇陛下)のご命令よりも優先される、とのこと。
「そもそも奥州藤原氏は源家にとって累代の家人と言える家柄ですから、その賞罰にいちいち勅許をいただかねばならぬというのも、またおかしな話」
累代の家人とは、かつて頼朝の祖先である源頼義(よりよし)らが前九年の役で奥州を平定したことを指していますが、泰衡たちにしてみればいい迷惑ですね。
「まぁ、こういうのは邪魔が入らぬ内にさっさと進めた方がようございますぞ」
「大庭よ、そなたの助言でスッキリした。褒美に愛馬をくれてやろう!」
でも一応、朝廷からの返事を待ってから……ということで7月16日。やっぱりと言うか案の定と言うか、「追討は来年に延期すべし(意訳)」との宣旨が届きました。
「まぁ、そうなるな……だが構わぬ、いざという時の言いw、もとい大義名分も用意したし!」
かくして7月19日、頼朝は奥州征伐のため鎌倉を出発したのでした。
……大河ドラマでこのシーンを取り上げる場合、わざわざ大庭景能を登場させるとは思えないため、大江広元(演:栗原英雄)あたりが進言するものと予想されます。