【鎌倉殿の13人】まさかフラグ?上総広常(演:佐藤浩市)がこっそり手習いを始めた理由(伏線)を予想:2ページ目
果たして広常の真意は……
「さて、と。彼奴が奉納した甲冑を引き取り、例の願文に何が書いてあるのか検分せよ」
新年を迎えた寿永3年(1184年)1月17日。頼朝は玉前神社から広常が奉納した甲冑を回収。結びつけられた願文には、こう書かれています。
敬白
上総国一宮宝前
立申所願事
一 三箇年中可寄進神田二十町事
一 三箇年中可致如式造営事
一 三箇年中可射萬度流鏑馬事
右志者為前兵衛佐殿下心中祈願成就東国泰平也如此願望令一々円満者弥可奉崇神威光者也仍立願如右
治承六年七月日 上総権介平朝臣広常【意訳】
上総国一宮の宝前に敬って白(もう)す
所願を立て申すこと
一つ、これより三年間、二十町(約20ヘクタール)の田を寄進=収穫を奉納します
一つ、同じく古来のしきたりに則り、神社境内の整備費用を奉納します
一つ、同じく流鏑馬神事(及び、その興行収益)を奉納します
前兵衛佐(さきのひょうゑのすけ。頼朝)殿の願い、そして東国の平和を叶えて下されば、これらのお礼と共に末永く崇敬いたします治承6年(※1)7月吉日 上総権介平朝臣広常(※2)
何と広常が心中に秘めていたのは、謀叛の企みどころか頼朝の大願成就と東国の平和。
神仏への願文は平素の文書と異なり、右筆(ゆうひつ。書記、秘書)などには代筆させず、自ら一筆々々真心を込めて書くもの(そうでないと、願いがバレます)。
その武骨な筆遣いに広常の真意を知った頼朝は大層後悔し、捕らえていた一族らをただちに解放。ねんごろに菩提を弔ったということです。
(※1)朝廷は既に寿永と改元していましたが、頼朝政権は平家による改元を認めず、治承の元号を使い続けました。
(※2)日付のすぐ下に改行せず署名と花押を書くのは日下署判(にっかしょはん)と言って、へりくだった表現になります。
終わりに
という訳で、広常が一生懸命に稽古した筆で書きつづったのは、頼朝への一途な思いでした……という展開を予想する次第です。
劇中ただ一人「武衛、ブエイ」と呼び続け、どこまでも頼朝が大好きで、自分こそが第一あるいは唯一の御家人とばかりに奉公した広常。
「最も頼りになる者は、最も恐ろしい」
その一途さが頼朝には重かったのでしょうか、あるいは恐ろしかったのかも知れません。
果たして大河ドラマでの広常はどんな最期を迎え、義時はどのように見送るのでしょうか。今から覚悟しておこうと思います。
※参考文献:
- 『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 前編』NHK出版、2022年1月
- 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 完全読本』産経新聞出版、2022年1月
- 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡1 頼朝の挙兵』吉川弘文館、2007年11月