手洗いをしっかりしよう!Japaaan

危機一髪!とっさの機転で暗殺を免れた伏見天皇「浅原事件」の顛末

危機一髪!とっさの機転で暗殺を免れた伏見天皇「浅原事件」の顛末:2ページ目

大覚寺統の陰謀だった?事件を告げる不吉な凶兆も

結局、為頼らが御所を襲撃した動機は不明のまま、犯人が死んでしまったため取り調べようもなく思われましたが、為頼の所持していた太刀「鯰尾(なまずお)」は三条実盛(さんじょう さねもり)の所有であったことから、

「三条殿が彼等に太刀を与え、御所襲撃を指図したに違いない」

と判断。六波羅探題によって実盛は逮捕されてしまいました。

当時、朝廷の内部では大覚寺統(だいかくじとう)と持明院統(じみょういんとう)で内部対立しており、実盛が大覚寺統であることから、そのボスである亀山法皇(かめやまほうおう。第90代)が黒幕に違いないと追及します。

しかし、持明院統のボスである後深草法皇(ごふかくさほうおう。第89代)は対立の激化を望まず、亀山法皇に「事件に関与していない」旨の起請文を書かせ、鎌倉幕府に送らせたことで手打ちとなりました。

無実が証明された実盛も釈放されて「浅原事件」は終幕を迎え、今でもその真相は謎のままとなっています。

余談ながら、この事件には凶兆があり、去る3月4、5日ごろ、紫宸殿に祀られていた獅子と狛犬が中からバックリと割れてしまったそうです。

いったい何事かと占わせたところ、「血が流れることになるでしょう(血流るべし)」との結果が出て、騒然としていた矢先の事件でした。

清浄なる御所が血によって穢されてしまったのは残念でなりませんが、ともあれ玉体(ぎょくたい。天皇陛下の身体)が無事で、皆さぞかしホッとしたことでしょうね。

※参考文献:
井上宗雄 訳注『増鏡 中』講談社学術文庫、1983年9月
細川重男ら『日本中世史事典』朝倉書店、2008年11月

 

RELATED 関連する記事