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カレーを最初に食べた日本人は元白虎隊隊士!?カレーがイギリスを経て日本に定着するまで

カレーを最初に食べた日本人は元白虎隊隊士!?カレーがイギリスを経て日本に定着するまで

カレーを食べた日本人第一号は元白虎隊士

文久3年(1863年)に遣欧使節団の一人、三宅秀(ひいず)という方が船上で食すインド人を目撃したと日誌に書いており、そのときは「ドロドロの芋のようなものをかけてかきまわし手づかみで食す、いたって汚いものなり」と感想を述べていますので、まだ目撃しただけで、食べてはいませんね。

実は会津藩の白虎隊士だった山川健次郎が、カレーライスを食した第一号ではと言われています。


山川健次郎は戊辰戦争を生き延びた後、東大総長まで上り詰めた学者です。彼の人生の詳細はここでは割愛しますが、彼が明治3年(1870年)にアメリカ留学する際に、船上で注文したそうです。

その時の様子は『山川老先生六十年前外遊の思出』(1931)に書かれており、抜粋しますと…

何しろ西洋の食べ物なんて云うものは食べた事がない。あの変な臭ひがするのがまづ第一に困って、船に乗っても食はないで居ると、船の医者が飯を食べにゃいかんと勧めて呉れたが、しかしどうしても食ふ気になれない。それで私は始めにライスカレーを食って見る気になって、あの上につけるゴテゴテした物は食う気になれない。それでその時杏の砂糖漬があったから、之を副食物にして米飯を食し、飢え凌ぎましたこともありました。


とあるので、実はルーの部分は残したようですね。正確には「カレーを食べた」というより、「カレーを注文した」初めての人といった方が正確かもしれません。ただ、一口ぐらいだったら口をつけたのではないかとは思いますが…。杏の砂糖漬けで凌ぐとは何とも涙ぐましい…。

さて、カレーが日本で定着するには少し待たなければなりません。
明治5年に『西洋料理通』(仮名垣魯文)と『西洋料理指南』(敬学堂主人)のなかで、作り方が紹介されました。

『西洋料理通』の中では「カリードヴィル・オル・ファウル」と紹介されています。
作り方は、

冷残の子牛の肉或いは鳥の冷残肉いずれも両種の中有合物にてよろし 葱四本刻み林檎四個皮を剥き去り刻みて食匙にカリーの粉一杯シトルトスプウン匙に小麦の粉一杯 水或いは第三等の白汁いずれにても其の中へ投下煮る事四時間半 その後に柚子の露を投混て炊きたる米を皿の四辺にぐるりと円く輪になる様もるべし

と紹介されています。

その翌年の明治6年には陸軍幼年生徒隊の土曜日の昼食がカレーになり、明治9年は札幌農学校の寮で1日おきにカレーが出たとのこと。普及はあっといまのように感じますね!
札幌農学校といえば「少年よ、大志を抱け」のクラーク博士。
ライスカレーと命名したのは教頭だった彼ともいわれていますが、実ははっきりとはわかっていません。しかしその可能性は大いにありそう。

店で販売されたのは明治19年、東京神田の丸久で9銭で売られたのが始まり。昔はカレーライスに福神漬けが定番でしたが、もしかしたら山川氏が杏の砂糖漬けを食べたということが参考になっているのかも?!

参考:『ニッポン第1号ものがたり』(講談社、楠木誠一郎、2021年)、「カレーライスあれこれ」(調理科学研究会、西村政晃、1982年)

 

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