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尊王攘夷運動が激しくなった幕末、粛清の対象となった「安政の大獄」の被害者たち【後編】

尊王攘夷運動が激しくなった幕末、粛清の対象となった「安政の大獄」の被害者たち【後編】:2ページ目

安島帯刀(あじま たてわき)

水戸藩の家老で、一橋慶喜の将軍後継に奔走。個人として平岡円四郎(ひらかえんしろう)や梅田雲浜、橋本左内、鷹司家や三条家などと通じていて、幕府から危険視されていました。戊午の密勅(ぼごのみっちょく)関与の疑いで軟禁されます。戊午の密勅とは、幕府をかいさず水戸藩に朝廷が直接下した幕政改革の密勅のことです。幕府尋問で無罪となったにも関わらず、理不尽に井伊直弼の命で切腹させられます。享年49歳。

鵜飼吉左エ門(うがいきちざいもん)

水戸藩の京都留守居役。将軍後継問題で慶喜擁立を図り、水戸藩京都工作の中心となります。勤王の志士らと通じ尊王攘夷に奔走します。しかし、安政の大獄で捕らえられ、激しい拷問を受けます。拷問は、歩行できなくなるほどのものでした。その後、息子の幸吉らとともに斬首となります。享年62歳。

鵜飼幸吉(うがいこうきち)

水戸藩の京都留守居役助役。日米修好通商条約締結の阻止に奔走し、父鵜飼吉左衛門とともに将軍後継問題で、一橋慶喜擁立を図ります。安政の大獄で捕縛され、父とともに斬首されました。享年32歳。遺体は家僕が変装して刑場に忍び込み持ち帰ったと伝えられています。

茅根伊予之介(ちのねいよのすけ)

水戸藩の郡奉行奥右筆頭取(ぐんぶぎょうおくゆうひつとうどり)。藩校・弘道館の開設にも尽力しました。藩主水戸斉昭とともに尊王活動を精力的に行い、日米修好通商条約の戊午の密勅や将軍後継問題に絡み不穏分子とみなされ、安島帯刀とともに出頭し斬首となりました。享年36歳

3ページ目 日下部伊三治(くさかべいそうじ)

 

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