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カツラじゃないよね?幕末モノでよく官軍がかぶってる赤い毛のフサフサ、あれは何?

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舶来品なので当然お値段も高く、なかなか一般庶民に手の届くものではなかったのですが、それがどうして幕末になって、官軍の皆さんに行き渡ったのかと言うと、将軍・徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)が幕府の本拠地・江戸城を明け渡したことによります。

「おい見ろよ、倉庫の中に熊毛がどっさりあるぞ!」

高級な舶来品であった熊毛をたくさん蓄えていたところからも、かつて天下に号令していた徳川幕府の威光が偲ばれようというもの。

「わーい、カッコいいから、これをみんなでかぶろう!」

「賊軍(旧幕府軍)の連中め、将軍家の宝物を奪われて、さぞや悔しがることだろうぜ!」

……とか何とか、そんな経緯(ノリ?)で官軍のトレードマークとして普及したそうです。憧れの戦国武将になりきって?皆さんさぞやテンションも上がったことでしょうね。

なので、鳥羽・伏見の戦い(江戸城の占領前)など戊辰戦争の序盤から官軍がこれらの赤熊などをかぶっていたような表現をしているのは、後世の誤解ということになります。

ちなみに『戊辰物語(ぼしんものがたり)』などの俗説では「赤熊は土佐藩、白熊は長州藩、黒熊は薩摩藩」と色分けしていたと紹介していますが、実際にはそんなことはなかったようで、先に登場した相楽総三も土佐藩ではなく、下総国(現:千葉県北部)の郷士出身であるなど、めいめいに好きな(あるいは入手できた)色のものをかぶっていたのでした。

※なお、赤報隊というネーミングも頭にかぶっていた赤熊から名づけられたのではなく「『赤』心(せきしん。真心)を以て国恩(国家≒天皇陛下からの御恩)に『報』いる」というモットーが由来となっています。

♪國を迫(お)ふのも人を殺すも
誰も本意ぢやないけれど
トコトンヤレ、トンヤレナ
薩長土の先手(さきて)に
手向ひする故に
トコトンヤレ、トンヤレナ……♪

※前出「宮さん宮さん」より。

現代のセンスから見るとずいぶん珍妙な印象を受けるかも知れませんが、幕末の志士たちは大真面目で熊毛をかぶって自らを奮い立たせ、新たな日本を夢見て突き進んでいったことでしょう。

※参考文献:
新・歴史群像シリーズ14『幕末諸隊録 崛起する草莽、結集する志士』学研プラス、2008年3月
東京日日新聞社社会部 編『戊辰物語―幕末から明治へ―』新人物往来社、1970年1月
太田臨一郎『日本軍の軍服 幕末から現代まで 写真集』国書刊行会、1980年3月

 

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