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ポスト織田信長を巡って大混乱。生き残りを掛けた織田家重臣たちの運命【前編】

ポスト織田信長を巡って大混乱。生き残りを掛けた織田家重臣たちの運命【前編】

柴田勝家(しばたかついえ)

筆頭重臣であり、若年時より織田家に仕えた。清洲会議では信長の三男・信孝を推挙したことで羽柴秀吉と対立する。領地分配においても、本能寺の変による功績によって加増となった秀吉に所領規模を逆転され、筆頭重臣の面目を潰される形となった。

1583年。勝家は所領である越前国(現在の福井県)の豪雪により身動きがとれないでいたが、協力関係にあった滝川一益を援護する形で挙兵。秀吉軍と合戦となる。

柴田軍有利で展開した戦だったが、味方の裏切りなどによって情勢が悪化。勝家は北ノ庄城まで撤退を余儀なくされる。

北ノ庄城は秀吉軍によって包囲され、篭城戦を試みるも敗戦。最後は城に火を放ち、妻であるお市の方と共に自害した。享年62。

【中編】に続く

 

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