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知って楽しい鎌倉の歴史!駅からスグの史跡めぐり~頼朝公と西行法師の出逢い~

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裁許橋=西行橋を渡って「飢渇畠」の処刑場へ

さて、問注所跡を通過すると、すぐに佐助(さすけ)川を渡ります。ぼんやりしていると気づかないくらい日常的な風景ですが、ここに架かっているのが鎌倉十橋(かまくらじっきょう)の一つ・裁許橋(さいきょばし)

この先にある処刑場(現:六地蔵)へ罪人を引き立てて行ったことからその名がついたと言われていますが、その音から別名「西行(さいぎょう)橋」とも呼ばれ、頼朝公はここで歌人として名高い西行法師(俗名:佐藤義清)に出会ったとも言われています。

西行法師のファンだった頼朝公は、彼に歌道と兵法の心得について尋ねたところ、とことん話してくれたとも、あるいは謙遜の体(てい)ではぐらかされてしまったとも言いますが、頼朝公よりお礼として銀の猫(香炉)を贈られたそうです。

伝承によると、西行法師はこの銀の猫をそこいらに遊んでいた子供たちにあげてしまった(=物欲がなかった)と言われています。しかし彼は当時、戦乱で焼けてしまった奈良の東大寺を再建するための勧進(かんじん。寄付を求めること)で鎌倉に来ていたので、高級品であればその足しにできたろうに、とも思います。

実際には、銀の猫は(恐らく高額寄付のお礼として)奥州藤原氏に贈られており、後に頼朝公が奥州藤原氏を征伐した際、宝物殿から発見されたそうです。

ちなみに、頼朝公が西行法師に会ったのは文治二1186年8月15日、鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)へ参拝する時だったそうですが、頼朝公の御所から八幡宮へ参拝するのに、ここまで来るのは遠回りになってしまうため、伝承を虚構とする説もあります。

しかし、中世には方違え(かたたがえ。凶方位を避けるため、目的地へ移動するのに別方位から迂回すること)の習慣があったため、占いの奇遇が二人を引き寄せたのかも知れません。

そして3分も歩けば、長谷観音の大通りと合流。この辺りがかつて飢渇畠(けかちばたけ)と呼ばれた処刑場で、斬られた罪人たちを供養するため、六地蔵が建立されています。

鎌倉駅西口から、ここまでゆっくり歩いて10分くらい。この信号を右折すれば長谷観音や鎌倉大仏(高徳院)、左折すれば若宮大路へ出られますが、そのまま細い路地へ入りながら、海を目指すコースも楽しいでしょう。

自粛明けの鎌倉散策プランに、ちょっと加えてみるのもいいかも知れません。

※参考文献:
原田寛『知れば楽しい古都散策 鎌倉謎解き街歩き』実業之日本社、2014年9月
奥富敬之『鎌倉史跡事典』新人物往来社、1997年1月

 

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