鎧兜を飾って子供の成長をお祈り。「端午の節句」やその風習の起源や由来:2ページ目
2ページ目: 1 2
この菖蒲がさらに大きくクローズアップされるようになったのは室町時代のこと。武士が活躍する時代において、菖蒲は尚武、つまり「武道に励むこと」にかけられたのです。武士たちは息子たちがたくましく成長し、尚武するようにと菖蒲に祈り、この日は男子の節句として定着していきます。
鎧兜を飾る風習もこの時代に生まれたものです。男の子を模した五月人形も作られるようになり、武者姿の他、桃太郎や金太郎など物語の主人公なども好まれるようになりました。
5月になると空をはためくようになる鯉のぼり。鯉は男性の出世のシンボルとされ、端午の節句に飾られるようになっていきました。この風習は江戸時代に広まったといわれ、その由来は『後漢書』の一節にある「登竜門伝説」であるとされています。
鯉を飾り始める前は、軍旗や武士が背負っていた自軍の幟を飾っていました。また江戸時代には、「湯屋」といわれていた銭湯の普及に伴って、端午の節句に菖蒲湯に浸かる習慣もできたのです。
参考
- 石原 道博 『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝―中国正史日本伝〈1〉』(1985 岩波文庫)
- 大庭 みな子 『枕草子』(2014 岩波現代文庫)
- 「端午の節句と五月人形」一般社団法人日本人形協会
ページ: 1 2