戦国時代にベトナムで暴れた最凶海賊!日本人倭寇・白濱顕貴とは何者?家康外交へと繋がる意外な結末
かつて日本をはじめ東アジア各地の海を荒らし回った倭寇(わこう)たち。その多くは日本人以外から構成されたものの、その獰猛ゆえに倭(日本)を冠されたそうです。
温厚な現代日本人からは想像がつきませんが、かつての日本人はさぞ獰猛だったのでしょう。
日本の海賊「倭寇(わこう)」とは何者だったのか?その正体と対策の歴史をたどる
※倭寇とは:14〜16世紀に東アジアの海を荒らした海賊集団。前期は日本人が中心でしたが、戦国期にあたる後期は中国人やポルトガル人など外国人が大半を占める「多国籍海賊」へと変貌していました。
今回はそんな倭寇の中で、本当に日本人だったという白濱顕貴(しらはま けんき)を紹介。果たしてどんな人物で、どんな悪行に及んだのでしょうか。
※白濱顕貴が海を荒らしていた戦国末期、日本国内の海賊たちは大きな転換期を迎えていました。天下人・豊臣秀吉が発した「海賊停止令」と海賊たちの運命については、ぜひこちらの記事もあわせてご覧ください。
かつて日本にも存在した「海賊」の終焉…秀吉が「海賊停止令」の3択で迫った完全服従の真相
熊野水軍の出身だった?
白濱顕貴は生年不詳、出身地や出自についてもよくわかっていません。
苗字の白濱(白浜)から、南紀白浜(和歌山県西牟婁郡白浜町)を連想させます。もしかしたら彼は紀州を本拠地とした熊野水軍の流れをくんでいたのでしょうか。
史料的な裏づけがないため仮説の域を出ないものの、水軍として活躍していたなら、その後に倭寇として暴れ回ったキャリアにも説得力があります。
また名前の読み「しらはま けんき」も気になるところです。倭寇(非日本人)っぽく振る舞うなら、苗字の読みも「はくひん」とした方がそれらしくなるでしょう。それをあえて「しらはま」としたのは、やはり白浜が出身地あるいは活動拠点だったからかもしれません。
あるいは白濱顕貴(しらはま あきたか)などであったのが、いつしかリスペクトを込めて名前を音読みするようになった可能性(※例:織田信長→信長公記)も考えられます。
いずれにしても白濱顕貴の正体については謎が多く、はっきりしたことはわかっていません。
2ページ目 10隻の軍船に立ち向かった日本人海賊。難破から投獄まで


