戦国時代にベトナムで暴れた最凶海賊!日本人倭寇・白濱顕貴とは何者?家康外交へと繋がる意外な結末:2ページ目
白濱倭寇団かく暴れき
そんな白濱顕貴が歴史の表舞台に登場したのは天正13年(1585年/ベトナム暦で光興8年)のこと。
5隻の船団を率いて広南国(クアンナム。阮朝ベトナム)の沿岸地域に出現し、片っ端から襲撃しました。
やがて10隻の海軍船団が鎮圧に乗り出し、激戦の末に白濱倭寇団は2隻の船を沈められてしまいます。
白濱顕貴の逃亡によって戦闘は終結。当局の記録によると、白濱顕貴は西洋人(白人?)と勘違いされていたそうです。もしかしたら、白人との混血児だったのかもしれませんね。
それからしばらく、白濱顕貴は史料上から姿を消します。何をやっていたのかはわかりませんが、まっとうな商売に鞍替えしたとも思えないため、恐らく細々と海賊稼業に勤しんでいたのでしょう。
そんな白濱倭寇団が再び登場するのは慶長4年(1599年/ベトナム暦で光興22年)のことでした。ベトナム南部のトゥアンアン近海で難破したため、立ち往生してしまいます。
地元当局はこれ幸いとばかり白濱倭寇団を追捕しようと乗り出しますが、腐っても鯛ならぬ難破しても倭寇。奮戦の末にこれを返り討ちにしました。
が、身動きもとれず補給もない状態では、それからどうすることもできません。白濱倭寇団は程なくお縄となり、投獄されてしまったのでした。
3ページ目 凶悪海賊が両国の架け橋に?歴史の偶然がもたらした結末
