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戦国時代にベトナムで暴れた最凶海賊!日本人倭寇・白濱顕貴とは何者?家康外交へと繋がる意外な結末

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日本とベトナム外交のキッカケに

さて、捕らわれた倭寇は極刑に処されるのがお決まりですが、広南国王の阮潢(グエン・ホアン)は考えます。

日本人である白濱顕貴を処刑したら、国際問題になるのではないか?と。

そこで白濱顕貴や今後の取り扱いをどうするべきか尋ねるため、徳川家康へ書簡を送りました。

慶長4年(1599年)時点ではまだ豊臣政権は健在でしたが、恐らく前年に秀吉が世を去ったことで、遠からず政権交代が行われることを見越していたのでしょう。

これが日本とベトナムにおける史上初の外交となりました。その後、両国の友好は日本が鎖国政策をとるまでの数十年にわたって続いたそうです。

ちなみに白濱顕貴がどうなったか、詳しい記録は残っていません。恐らく、別に生かしておく必要もなかったため、つつがなく処刑されてしまったのでしょう。

白濱顕貴・人物データ

  • 読み:しらはま けんき/あきたか?
  • 生没:生没年不詳(慶長4・1599年以降没)
  • 出身:不詳(紀伊国白浜?)
  • 出自:不詳(熊野水軍?)
  • 家族:不詳(白人とのハーフ?)
  • 職業:倭寇の頭目
  • 活動:天正13年(1585年)以前~慶長4年(1599年)
  • 死没:阮朝ベトナムか
  • 死因:処刑か

今回は倭寇の頭目としてベトナムの海を跳梁跋扈していた白濱顕貴について、その生涯をたどりました。

ほとんど謎の人物ですが、図らずも日本とベトナム両国の架け橋となったのは興味深いですね。

ちなみに交易などはそれ以前から行われており、両国間にまったく関係がなかったわけではありません。

ともあれ、謎多き白濱顕貴の活動について、今後の究明がまたれます。

※倭寇に関してはこちらの記事もおすすめです。ぜひ合わせてご覧ください。

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※参考文献:

  • 近藤瓶城 編『改定史籍集覧 第21冊 復刻版』臨川書店、1984年4月
 

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