砂糖はいつから日本にある?伝来の歴史から南蛮菓子、長崎シュガーロードと江戸の国産化まで【前編】
朝のコーヒーに砂糖を入れたり、お菓子をひとつつまんだり。砂糖は、私たちの暮らしにすっかり溶け込んでいます。けれど、こうした何気ない日常の裏側には、何百年にもわたる人々の航海や知恵、技術の積み重ねがありました。普段何気なく口にしている砂糖も、その歴史をたどってみると、意外な一面が見えてきます。
そもそも、今でこそ台所やお店に当たり前のように並んでいる砂糖ですが、かつては遠い海の向こうから運ばれてくる、めったにお目にかかれない宝物のような存在でした。薬として重宝されたり、特別な贈り物にされたりした時代もあったほどです。
この「当たり前の甘さ」が私たちの暮らしにじんわりと溶け込んでいくまでには、異文化との鮮烈な出会いや、各地の人々の汗と工夫が深く関わっていました。
海を渡ってきた砂糖と、見たこともない異国の菓子
日本に初めて砂糖がやってきたのは、奈良時代頃だと言われています。754年に海を渡ってきた唐の僧・鑑真が伝えたという逸話が有名ですが、実は鑑真本人が持ち込んだと裏づける確かな記録は残っていません。ただ、756年の正倉院にまつわる記録にはしっかりと「砂糖」の文字があり、少なくとも奈良時代には日本に届いていたことが分かります。
当時の砂糖は、主に中国から渡ってきた貴重な輸入品。いまのように料理へ気軽に加えるものではなく、身体を癒やす薬や、身分の高い人への贈り物として大切に扱われていました。
砂糖が「お菓子」の主役として存在感を放ち始めるのは、室町時代に入ってからのことです。中国との貿易が活発になるにつれて消費も増え、砂糖を使ったお饅頭や羊羹が作られるようになっていきました。
さらに16世紀、ポルトガル船がやってくる南蛮貿易が始まると、カステラや金平糖といった、当時の人々を驚かせたであろうハイカラな南蛮菓子が日本へ伝わります。金平糖というお菓子の名前がポルトガル語の「コンフェイト(confeito)」からきているということは、以前の記事でお伝えした通りですが、
襦袢、かるた、金平糖も実はポルトガル語!身の回りには南蛮文化が溢れていた
語源はポルトガル語のコンフェイト?和菓子界の宝石「金平糖」の魅力と歴史に迫る
この時期に海を越えて西洋からもたらされたものには、当時の熱気や交流のぬくもりが今も伝わってきます。こうして外国生まれの菓子が日本の文化に馴染んでいく一方で、肝心の原料である砂糖は、まだまだ海外からの輸入頼みという状態が続いていました。
2ページ目 命がけで挑んだ黒砂糖づくりと、奄美に刻まれた「光と影」の歴史


