砂糖はいつから日本にある?伝来の歴史から南蛮菓子、長崎シュガーロードと江戸の国産化まで【前編】:3ページ目
幕府の危機感が生んだ「和三盆」と、甘みが駆け抜けた「シュガーロード」
江戸時代が深まると、砂糖の流通はさらに勢いを増していきます。幕府は、砂糖を海外から買い付けることで大量の金銀が国外へ流れ出てしまうことを警戒し、1715年に輸入を制限して「自分たちの手で砂糖を作ろう」と国産化の舵を切りました。
こうしてサトウキビの栽培や製糖は西日本を中心に広がりを見せ、讃岐(現在の香川県)では、あの繊細な口どけで知られる「和三盆」へとつながる技術が開花します。1798年には讃岐で作られた砂糖が大坂の市場に並んだとされ、海の向こうに頼るしかなかった砂糖を自分たちの土地で作る試みが、着実に実を結んでいきました。
さて、この頃の砂糖の歩みを語るうえで、長崎から小倉へと続く「長崎街道」の存在は外せません。海外への玄関口だった長崎には、オランダ船や中国船から次々と砂糖が運び込まれ、大坂をはじめ全国の市場へと運ばれていきました。
その街道沿いには、手に入りやすい砂糖をふんだんに使ったカステラや丸ぼうろといった銘菓が次々と誕生し、いつしかこの道は「シュガーロード」と呼ばれるようになります。長崎から届く豊かな砂糖に、異国の技術や道具、そして街道沿いの職人たちの創意工夫が合わさることで、各地に個性あふれるお菓子文化が花開いたのです。
ちなみに、江戸時代の砂糖について「庶民には逆立ちしても手の届かない雲の上の贅沢品」と決めつけてしまうのは、少し実態とズレています。もちろん決して安いものではありませんでしたが、地域や流通ルートによっては手に入れやすく、18世紀にもなると、お菓子だけでなく普段の料理に砂糖を使う家庭も増えていました。
砂糖は、一握りの特権階級だけの特別な味覚であると同時に、商業の広がりとともに町の人々の暮らしのなかへ、じわじわと浸透していった親しみやすい商品でもあったわけです。
次回の【後編】につづきます。
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参考
- 農畜産業振興機構「砂糖の歴史(日本への伝播)」、2010年2月24日更新
- 農畜産業振興機構「江戸時代の砂糖食文化」、2010年12月27日更新、
- 文化庁「砂糖文化を広めた長崎街道~シュガーロード~」、日本遺産ポータルサイト
- 農畜産業振興機構「渋沢栄一と製糖業~日本の製糖業の変遷~」、2025年1月10日更新

