手洗いをしっかりしよう!Japaaan

【豊臣兄弟!】迫る最期…蜂須賀正勝(高橋努)の没後なんと幕末・明治まで繋いだ“蜂須賀一族”を一挙紹介

【豊臣兄弟!】迫る最期…蜂須賀正勝(高橋努)の没後なんと幕末・明治まで繋いだ“蜂須賀一族”を一挙紹介

墨俣の築城作戦で仲間になって以来、ずっと羽柴兄弟の立身出世を支え続けた蜂須賀正勝(高橋努)ですが、彼もそろそろ退場の時を迎えます。

しかしその志は嫡男の蜂須賀家政(はちすか いえまさ)に受け継がれ、その後代々にわたって家名を受け継いでいきました。

今回は蜂須賀正勝の子孫たちについて、一挙に紹介したいと思います。大河ドラマ「豊臣兄弟!」を楽しむ参考に、また正勝を偲ぶよすがとなれば嬉しいです。

※大河関連記事:

【豊臣兄弟!】殿を死なせない!鬼の元親を降伏に導いた谷忠澄(堀部圭亮)、史実は「切腹覚悟」の進言だった

ここにきて、「重臣」にスポットライトを当てた場面が胸アツ展開になった、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。徳川家康(松下洸平)に「奪われたくないなら奪う側になれ」という石川数正(迫田考也)。…

『豊臣兄弟!』これぞ秀長(仲野太賀)の神対応!毛利輝元(濱正悟)を骨抜きにした超破格のおもてなし戦術

『豊臣兄弟!』で描かれる豊臣秀吉(池松壮亮)と秀長(仲野太賀)の天下取りは、合戦だけではありません。強大な大名を味方につけるため、二人は領地や官位を与えるだけでなく、驚くほど手厚い「接待」すな…

正勝の子・蜂須賀家政(いえまさ)

永禄元年(1558年)生~寛永15年(1639年)没

阿波徳島藩の藩祖。

正勝の嫡男で、はじめ織田信長(小栗旬)に仕えて武功を立て、後に羽柴秀吉(池松壮亮)の下でも戦歴を重ねました。

天正13年(1585年)の四国攻めによって父から阿波一国を譲られ、徳島藩の基礎を築き上げます。

秀吉死後は徳川家康(松下洸平)に接近して関ヶ原・大坂の陣で忠義を貫き、豊臣家の滅亡を見届けることになりました。

やがて急死してしまった至鎮に代わり幼い忠英を補佐し、天寿をまっとうします。享年82歳。

正勝の孫・蜂須賀至鎮(よししげ)

天正14年(1586年)生~天和6年(1620年)没

阿波徳島藩の初代藩主。

家政の嫡男で、関ヶ原の合戦では父の代わりに出陣して武功を立てました。また大坂の陣でも武功を立て、淡路国を加増されています。

父譲りの名君として知られ、分国法である御壁書二十三箇条を定めて国内統治を磐石のものとしました。

しかし病弱であったため、35歳の若さで父より先立ってしまいます。

正勝の曾孫・蜂須賀忠英(ただてる)

慶長16年(1611年)生~慶安5年(1652年)没

阿波徳島藩の第2代藩主。

幼くして家督を継いだため、祖父の家政に後見されながら成長しました。第2代幕府将軍・徳川秀忠より忠の字をいただいて忠英と名乗ります。

父が制定した御壁書二十三箇条を補完する裏書七箇条をを制定して、領国経営をより安定化させました。ただしこれは祖父が起案したとも言われています。

一時逆恨みから「大船を建造して切支丹を野放しにしている」と讒訴されることもありましたが、潔白が証明されるエピソードもありました。

父に似て病弱だったのか、あるいは藩政の激務に耐えかねたのか、42歳で世を去っています。

2ページ目 正勝の玄孫・蜂須賀光隆(みつたか)

 

RELATED 関連する記事