【豊臣兄弟!】秀長が頼るキーマン・才蔵(間宮祥太郎)の実在モデルは?郡山繁栄を起こす『起爆剤』
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」第38回は『和を以て、大和をなす』。
キーパーソンの一人として登場するのが、奈良の筆屋の主人・才蔵(間宮祥太郎)です。
ドラマの公式サイトの紹介では、
筆づくりの腕は確かで、元は奈良に店を開いていたが、ある決意を胸に大和郡山で新たに商いを始める。
とあります。
予告では、秀長(仲野太賀)が才蔵に「そなたの筆が頼りなのじゃ」と告げ、「せいいっぱい励みまする」と頭を下げる才蔵のやりとりの場面が映し出されました。
筆作りの才能を持つ才蔵には実在の人物のモデルはいたのでしょうか。また、「郡山を人が集まる栄えた町に」とする秀長の町づくりにどうに関わっていくのでしょうか。
史実での秀長の城下町政策とともに、探ってみました。
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中小商人や職人は新規開業のチャンス
前回第37回『秀長の国』。で描かれたように、 秀長は天正13年(1585)9月に秀長郡山城入りし、すぐに寺社領の検地を行い年貢の流れを寺社から国主・秀長へと切り替えました。
さらに、商業も把握。
『多聞院日記』(興福寺多聞院の僧・英俊の日記)の天正13年10月15日条 によると、
「奈良中の商売が禁止。味噌・酒・柴木・菜・海苔・硫黄など生活品まで郡山で売り買いするよう命じられた」と記されているそう。
門前町として商業の中心地だった奈良は、長年、興福寺や春日社などの寺社が支配し、商人は『座』(寺社を本所とする組合)に属し、独占権を持っていました。
秀長は、そんな「寺社の町・奈良」から「武家の城下町・郡山」へ経済の中心を移し、城下町を急速に発展させようとしたのです。
検地で「土地と年貢」を、商売禁止で「流通と商業利益」を同時に秀長の下に集中させ、郡山を政治・軍事・経済の拠点に作り上げようとした政策になります。
天正16年(1588)には綿町・紺屋町・本町・今井町・奈良町・堺町・藺いの町・柳町・茶町・豆腐町・魚塩町・材木町・雑穀町の13町と本町の枝町である鍛冶屋町が確認されます。それぞれ同業者が集住し、秀長より商売上の特権を獲得しました。
(天理大学 公開講座記録「大和学」への招待-郡山の歴史と文化2-】第1講 秀長のまちづくり・くにづくり)より
奈良の豪商にとっては、既得権を喪失することになるので、これには強い反発があったようです。


