【豊臣兄弟!】迫る最期…蜂須賀正勝(高橋努)の没後なんと幕末・明治まで繋いだ“蜂須賀一族”を一挙紹介:4ページ目
正勝の十二世孫・蜂須賀治昭(はるあき)
宝暦7年(1578年)生~文化11年(1814年)没
阿波徳島藩の第11代藩主。
時の幕府将軍・徳川家治から治の字をいただいて治昭と改名しました。父の失政によって出仕を止められたこともありましたが、やがて赦されたといいます。
文化3年(1806年)に藩祖の蜂須賀家政を祀る国瑞彦神社(くにたまひこじんじゃ。徳島市)を創建し、また蔵書家として膨大な典籍を収集するなど、文化面で活躍しました。
文化10年(1813年)に隠居して家督を蜂須賀斉昌(なりまさ)に譲ります。
正勝の十三世孫・蜂須賀斉昌(なりまさ)
寛政7年(1795年)生~安政6年(1859年)没
阿波徳島藩の第12代藩主。
時の幕府将軍・徳川家斉から斉の字をいただいて斉昌と改名しました。
当時は藩の財政が悪化しているだけでなく、幕府から甲斐国の治水工事を命じられたため、領民には多大な負担をかけたそうです。
実子がいなかったため、家斉の二十二男である斉裕(なりひろ)を養子に迎えましたが、これがトラブルの原因となりました。
斉裕は将軍の実子ということで従四位上に叙せられ、斉昌と同格になってしまいます。そこで幕府は養父の立場に配慮して、斉昌を正四位上に昇叙させました。
これを知った領民たちは「この異例の昇格は、きっと老中(水野忠邦)に賄賂を贈ったからに違いない」と噂し、不満を募らせます。
そこへ加えて、斉昌は財政再建のために領内のタバコを専売制とし、タバコ税(煙草御口銀)を課したのでした。
これに激怒した領民たちは逃散(ちょうさん)や一揆によって抵抗。徳島藩は一揆首謀者を罰することができなかったそうです。よほど抵抗が激しく、領民たちが団結していたのでしょう。
前途多難の中で家督を斉裕に譲って隠居したということです。
正勝の十四世孫・蜂須賀斉裕(なりひろ)
文政4年(1821年)生~慶応4年(1868年)没
阿波徳島藩の第13代藩主。
第11代幕府将軍・徳川家斉の22男で、父から斉の字をいただいて斉裕と名乗りました。
先代から続く混乱を収めようと藩政改革に着手し、藩士の知行を削減したり領内の大商人から献金を求めたりと財源確保に努めます。
また時節柄、藩の軍制をイギリス式に改編し、淡路島に砲台を建築するなど海防政策に注力しました。
文久2年(1863年)には幕府が創設した海軍総裁と陸軍総裁を兼務していますが、役職に伴う出費が甚大で、せっかく切り詰めた徳島藩の財政が破綻寸前まで追い込まれてしまいます。
幕末期において、斉裕自身は公武合体を目指していました。しかし藩論を統一することができなかったことから、明治維新で大きな活躍ができず、結果的に存在感を示せなかったそうです。
戊辰戦争(鳥羽・伏見の戦い)が始まった1月3日に危篤となり、1月6日に48歳で急死してしまいました。
正勝の十五世孫・蜂須賀茂韶(もちあき)
弘化3年(1846年)生~大正7年(1918年)没
阿波徳島藩の第14代藩主(最後の藩主)。
第14代幕府将軍・徳川家茂から茂の字をいただき、茂韶と名乗ります。
戊辰戦争が始まった途端に父が急死してしまったことから、阿波徳島藩は大混乱に陥りました。
阿波徳島藩は新政府軍に与して奥羽戦線に軍勢を派遣したものの、混乱の影響によって十分な戦力が送れず、そのため諸藩から冷評されてしまったそうです。
明治維新の後も徳島藩知事を務めますが、明治4年(1871年)の廃藩置県によって阿波徳島藩は消滅してしまったのでした。
その後も蜂須賀家の子孫たちは、家名と血脈を後世に受け継いでいます。
終わりに
【蜂須賀家略系図】
……正勝-家政-至鎮-忠英-光隆-綱通=綱矩-宗員=宗英=宗鎮=至央=重喜-治昭-斉昌=斉裕-茂韶……
今回は蜂須賀正勝の子孫たち・阿波徳島藩の歴代藩主を一挙に紹介してきました。江戸時代に入ると、治世中よりも後継ぎを確保する方が大変だったような印象ですね。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」では家政以降の登場はないと思いますが、それでも秀吉・秀長の天下一統を支えるため、画面のどこかで奮闘しているかもしれません。
人間は死んで終わりではなく、その志や精神は次世代へと受け継がれていくことでしょう。
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※参考文献:
- 徳島県史編さん委員会 編『徳島県史 第五巻』徳島県、1966年9月
- 蜂須賀年子『大名華族』三笠書房、1957年10月
- 『別冊歴史読本24 江戸三百藩 藩主総覧 歴代藩主でたどる藩政史』 新人物往来社 1997年8月







